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「ひなたエキス」は失敗から生まれた事業

ダメダメだった起業・・・

学生時代に秋田の大自然を楽しませてもらい、秋田に残る決意をした私は、秋田の魅力「自然と共に生きる価値」を多くの人に広めようとインバウンド観光事業を2014年にスタートしました。

インバウンド観光を選んだのは、私が元々ホテルマンだったこと、当時急激に海外からの観光客が増加していたことなどタイミングも重なり、迷わず「世界に秋田を広めるんだ」と思っていました。

しかし、実際はなかなか成果が掴めず、迷いの中にいました。

需要がなかった?「山菜採りツアー」

私が大好きになった「山菜を採って、天ぷら作る」週末の遊び。これをツアーにしようと地域の方にお願いして、料理できる場所も用意して、いざ商品になった!と思ったのですが、これが売れません・・・。

山菜が出る時期は短い期間だし、そもそも出る場所がコロコロ変わるし、その度に許可をもらって・・・なんてことをしていては全然ビジネスにならないんです・・・。しかも、私は山菜で遊び過ぎていたので、いつの間にか山の奥深くまで入って楽しむようになっていて、未経験の人がすぐ楽しめるレベルを超えていました。

私は大好きな山遊び!何人の人がこの薮に入りたい・・・?

ビジネスにするにはお客様を誰にして、運営体制を整えて、利益が出るように設定しなければ始まらない。恥ずかしながら、何も考えずに私が感じていた「これが面白い!」を売ろうとしていました。

地域に必要なのは「サポーター」ではなく「プレイヤー」

ある時ふと感じました。

「あれ?私の動きは地域に必要とされていないかも?」

「インバウンド観光でお客様を呼びましょう!私、翻訳お手伝いします!」

「新しい商品を作りましょう!私、プロモーションお手伝いします!」

当時の私は「主役は地域!私はそのお手伝いをするんだ!」とサポート役だと思っていました。しかし、そこからは何も生まれませんでした。

まず、地域の人全員がインバウンド観光で新しいお客様を誘致したいと思っている訳ではありません。たとえ、挑戦しようと思っていても、現実的に新しいことに挑戦出来ない事情もあったり。

また、そもそも既に新しいマーケットにアプローチ出来ている事業者にとって私は必要ありませんでした。

「サポーター」なんて中途半端な立場ではダメだ。

自らが主体になって動く「プレイヤー」になるべきなんだ。

何年も掛かって、ようやく気がつきました。

パンデミックがチャンスになった!

私が変化しなければいけないと分かっていながらも、なかなか決意できずにいた頃、ちょうど世界中でコロナウィルスが蔓延しました。

これをきっかけに地方からインバウンド観光事業が激減しました。仕事がなくなったのです。私は心の中で「これをキッカケにするしかない」と感じました。

今も一緒に事業を進める「えんどれ」と一緒に1年間地域を周って、自分達に出来ることを考えました。

条件はただ一つ。

「自分達の商品を作り、ダイレクトにお客様に届ける」

旅館業をやってみる?
→プレイヤーではありますが、今の私たちでは力が及びませんでした。

農家レストランはどう?
→知れば知るほど、農家でなければ出来ないことを理解しました。

もっとシンプルに。

私たちにできることから。

本当に1年かかりました。

そして見つけたのが規格外の果物・野菜でした。

色や形で規格品・規格外と分けられる苺

これを冷凍保存すれば私たちにも扱えるかも知れない。

「えんどれ」と地域を周って繋がった農家さんに連絡し、仕入れることが出来ました。

そして、海外営業中に出会った屋台を参考に、「スムージーだ!」と商品が生まれました。

「ひなたエキス」の誕生です!

タイに営業中出会った農家レストラン

最後まで読んでいただきありがとうございます!
次の記事では具体的にどうやってひなたエキスを作っていったのかお話したいと思います。

前回もたくさんの方に読んでいただき、本当に嬉しいです!
どんどん記事アップしていきますので、是非読んでください^^



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