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古民家が与えてくれるもの

2021年も後半になりましたね。

7月はHinataboccoに関わってくださるひとが一気に増えた1ヶ月でした。
キャストさんや幅広い年代のボランティアの皆さんに加え、大学生の方々も多く来てくださるようになりました。

初めて古民家に来たひとたちには、
おじいちゃんおばあちゃん家に似ていて懐かしい、来るのは初めてなのに知っているみたいなど、色んな感想をいただけます。

誰かの心の中にある何かにこの古民家は繋がっているのかもしれませんね。

Hinataboccoの古民家再生活動を通して、非日常の新鮮さや普段とは違う時間の流れを体験してもらえていたら幸いです。

たくさんのひとに来ていただいたので、DIYはあっという間に進みました。

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2階があるのですが、ハシゴをかけないと行けませんでした。いつか入ってみようと予定していましたが、ご協力くださった皆さんのおかげで予想以上に早く行けたことは嬉しかったですね。

その日はとても印象深く、部屋に光が差し込んだ時は令和から大正へもどってしまった不思議な気持ちになりました。異次元だったんです。暮らしている空間の上には、知らない世界が広がっていたのかと驚きもしました。

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きれいに大掃除して、蔵の中にあったたくさんの食器や本、写真などを全て2階に片付けました。
ハシゴにあがって物を運ぶのは初めてで汗だくになりながらの作業でした。

さて、なぜ食器がたくさんあったのでしょうか?

それは、昔は結婚式などをご近所さんたちも招いて自宅でお祝いしていたからだそうです。ボランティアの方が教えてくれました。
昔の文化を知りDIYで襖を取り外している最中に疑問だった、なぜ壁ではなく襖だったのだろうという謎も解けました。

推測ですが、大勢のひとが集まった時に襖を開けてひとつの大きなお部屋にして使っていたのでしょうね。以前私の母から、お母さんのおじいちゃんのお葬式は襖を取っ払っておうちでしたんだよ、農家では当たり前だったのよと聞いた話を思い出しました。

古民家再生をしていると、昔の生活を感じる一方で空き家問題を考えさせられます。空き家は、誰かが住んでいた気配があったからこそ空き家と呼ばれるようになり、空き家に残されたものたちやそのものに積もっている埃は、空白の期間の長さを私たちに教えてくれます。

その家に住んでいたひとがどんなひとなのかを知らなくても、今空き家に漂う空気も含めて形あるものないもの全てが想像をさせてくれるのです。

どんなにインターネットや本で情報を集めるよりも、その地域を訪れることや空き家に残されたものや埃の濃さなど様々な要素を目の当たりにしたほうが、昔の文化や生活を肌で強く感じることができます。

今日もどこかの田舎や都会でも、積もった埃が舞うこともなく埃の層がほんの少し厚くなった空き家があることでしょう。

そんな空き家が一体何軒あるのだろうかと考えた時、長野に行く高速道路から見える集落、山行に向かうまでの田舎町、旅行で訪れた小さな村の情景が思い浮かんできました。

私たちにとって10年以上見放されていた空き家を拠点としたことは、安定した場所にハシゴを置いてしっかりと両手で掴みあがっていく挑戦の原点になりました。高くなるにつれ足が竦むかもしれませんが、ここでは次の一段へ一緒に踏み出せる仲間に出逢えたんです。

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7月の後半になってしまった…とは言わず、2021年の後半はまだ始まったばかり!と再び生気を与えてくれたのもこの古民家でした。 

@furuka.mera

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