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夢について

幼稚園に通っている頃から年老いた時まで人生の中で何回も同じ質問をされる。
はいかいいえでは済まされないこの質問に一生囚われる。

誰もが当たり前に持っているかのように、夢は何かと聞かれる。
夢がない自分を否定するかのように、大きな夢を叶えるために必死でキラキラした姿をテレビや本や映画は映し出す。
さらに追い詰めるように、将来を語る友人が私の性格を歪ませる。

夢を持つと、自分が好きなこと、今やるべきこと、必要ないこと、進学先や就職先、貯めておくべき金額、読んだ方がいい本、関わっていた方がいい人、持っていた方がいいもの、
全部に答えが生まれる。
夢を語れる自分と、叶えるためにしている自分の努力に満足する。そんな自分が好きになれる。

夢はただの精神安定剤ではないのだろうか。

精神安定剤が足りない人は意思を持つことで精神を保つ。
こうして文章にしているのも、今はっきりとした夢がない自分を正当化するための言葉にすぎないかもしれない。


夢が叶わなかったとき、自分の努力不足だったと自分を追い詰める。他人のせいにしてしまうこともあるかもしれない。
夢を諦めたとき、自分は向いていなかったと他人を羨む。今までの努力やかけてきた時間、お金が無駄になったと過去を悔やむ。

夢は叶えられないのでも諦めるのでもなく、自分で夢を辞めると決断すればいい。
夢は自分で持つと決める。自分で捨てると決める。
自分で決めているのだから、他人のせいでもないし、大きな後悔も生まれない。
どうしても叶えたい夢。少しでも叶う希望があるなら捨てる必要はない。
諦めきれないのなら捨てる決意が固まるまでその夢を持ち続けるべきだ。

でも本当にその夢を叶えたいのか分からなくなったり、もっと自分に合うものを見つけたり、夢を叶えるために行っている努力が楽しいと思わなくなったら、どれだけ今まで夢を叶えるために時間やお金をかけていようとやめていいと思う。

私も大きな夢を持ったことがある。その夢を叶えるために自分なりに努力をして、時間もお金も費やした。
それでも叶わないと思った。叶うまで努力を続けることはできないと思った。夢を諦める理由が欲しいと思ってしまった。結局その夢は辞めた。もっと今の自分を生かせることが他にあるとなんとなく思った。
今は、過去の夢を辞めたことに対して、自分でも驚くほど後悔はなくて、夢を叶えようとしていた自分を誇らしく思う。

夢がないとき、やりたいことも、やるべきことも分からないとき、人は不安になる。自分が嫌いになる。
でも自分の可能性を見つけることができる。
沢山夢を持ってもいい。大きすぎる夢を持ってもいい。何回夢を辞めてもいい。
夢を全否定しているわけではない。でも夢が一つもなくていいと思う。将来のことは考えず、私は今の自分の最善の選択をしていきたいと思っている。

自分のやりたいことや夢が見つからなくて悩んでいる人は多いと思う。でもそれで悩みすぎないでほしい。夢があるない関係なく、今自分自身が満足できる行動をしている人はかっこいい。夢に囚われすぎないように、夢は人生のほんの一部であって欲しい。


初めまして。文章が上手くなりたいと思いnote始めてみました。まだまだ痛い文章ですがこれから頑張っていきます。写真は本文とは関係ない、以前描いたイラストです。

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