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劣等感との付き合い方を考えた話。

4月か5月あたり、3週間くらい毎日のように連絡を取り合っていた先輩がいる。

始まりは学祭実行委員会の新歓だった気がする。2次会で、確か先輩が結構酔っ払っていたのかな、チャットサービスでネカマしたりギャルゲーの朗読会をしたり、素面ではちょっとよくわからない遊びをしていた。まあ私も一緒にやってた時点で何も言えませんが。

結局朝の3時4時までゲームしてたっけな。

そこからずっとひたすら連絡を取り合って(というか私が喋りたいのに付き合ってもらってたところが大きい)、大学のことや高校のことから、好きだったアニメのこと、果ては下ネタまで、本当にあらゆるトピックについて話した。

その中でも登場回数の多い話題が「劣等感」だった。

もちろんある程度ネタのノリで喋ってはいるのだが、やはり私の中にも先輩の中にも、人一倍大きな劣等感があることは間違いなかった。

自分の持っていないものを羨む心。妬む心。私も先輩も、とてもありがたいことに中高大と非常に恵まれた環境で過ごしていた人間だった。環境がよくなればなるほど、優秀な人間が多くなる。自分にないものがたくさん見えてくる。その中で、どうやって自分の機嫌を取っていくか。いかに卑屈にならないでいられるか。いかに自分の価値を見出し、育てることができるか。


高校の時、HRの時間で「挫折への対処の仕方」みたいなテーマで散々公演を聞かされた。でも話し手は変われど言っていることは毎回だいたい、

特定の分野で一番になれなくても、色々な分野を組み合わせたオンリーワンになれば良い!

みたいなことだった。

なんだかピンとこなかった。というか、なんども同じような話を聞かされて正直いやになっていた。

確かに当時の私は劣等感の塊だった。自分より頭の良い人、発想が豊かな人、勉強ができる人、人とうまく話せる人、ユーモアセンスに優れた人、人望の厚い人、様々な分野で活躍している人、特定の分野でずば抜けた技術がある人、、、すごい人がいくらでもいた。辛かった。妬んで、虚栄心に苦しむ自分の幼児性が悲しかった。結局劣等感に振り回され続けて、悔しさを努力に変える精神的余裕もなく、そのまま高校を卒業。何もできなかった。

これはいかん。このままではいけない。そこで、どうすればよかったのか、私なりの劣等感との付き合い方を考えてみた。​

劣等感との付き合い方

まず、短期的な対処法から。精神的余裕がある時とない時で大きく対応が分かれる。

・精神的余裕がない時
劣等感を感じさせるようなすごい人に出会ったら、とにかく視界に入れない。精神的余裕ができて前向きに向き合えるようになるまでやり過ごす。
頑張ることってやっぱり精神を削るし、ここで無理に対応しようとすると爆発してしまって取り返しのつかない事態になりがち。

・精神的余裕がある時
①何が羨ましいのかはっきりさせる。
②自分に足りないものをはっきりさせる。
③それを補うために自分は何をすべきか具体的に書き出す。なるべく小さいステップに分ける。
④実行。

でもこれはあくまでも短期的な対処法であって、根本的解決にはつながらない。努力ができない私の居場所なんて、結局この社会にはないのだ。居場所はないけれど、死ぬ勇気がないのならそれでもなんとか生きていくしかない。社会の中に居場所がなくとも、とりあえず自分の中にだけでも居場所を作ってやらねば、と思うのだ。

ダメな自分を受け入れる、もうこれしかないのではないかと思う。生きている以上、他人と自分を比較しないなんて無理な話なんだから、人と自分を比べないなんていう理想論は有用性がない。完璧でない、劣っている自分を諦めるのではなくて受容することが大事なのだ。これはまあ、自分の能力の天井を決めるということに近いのかもしれない。そりゃあこんな話、誰も大人になるまでしてくれないわけだな。

挫折を経験することは、これを会得するひとつの方法だと思う。私は高校2年から3年にかけて、苦しくて、周囲の人間関係をぶち壊し、1年劣等感を引きずった挙句数日間ベットの上で動けずにただ涙を流し続けるレベルのどん底を経験した。一度どん底まで落ちると、自分のダメな部分を見つめすぎて開き直れる。何だか知らないけど、私はそこで自分を初めて受容できた気がした。自分が愛しくて仕方なくなったことをよく覚えている。

私は幼児的な虚栄心に内臓を食い荒らされているから、欠点のほとんどを受容して、これも、ぜんぶ、わたし。なんて状態になるには多分数十年かかる。でも、生きていくためにはそうしていくしかない。そうやって自分を自分の中でオンリーワンのかわい子ちゃんにしていくのがきっと人生なんだろうな。とてつもない修行だ。でも、そうやって今まで周りの人にしてもらっていた分も自分を可愛がれるようになれば、自分の愛だけで満足できるようになれば、多分私は幸せに生きられる。

周りからどんなに劣っていても、幸せになることを諦める理由はどこにもない。これは私が周囲の人にたくさんたくさん言っていることだけど、あなたにも私にも幸せになる権利がある。

世界がどんどん孤独に、実力主義になっていって、コンプレックスを刺激して焦らせるような情報が溢れても、結局幸せになれるのは自分をいい子いい子できる人なのかもしれない。劣等感を感じる自分さえも受容して、胸を張って生きられるその日がくるまで、私はのたうちまわりながら精一杯生きていこうと思う。

読みたいと思っていた本と撮影用の衣装を買うために大切に使わせていただきます。