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モラトリアム in コロナ禍

どうしても、考えなくてはならない時がある。

自分がどう生きていくのか。
どう生きていたいのか。
どう生きなければいけないのか。

向き合わざるを得ない、そんなタイミングがあるのだと思う。


最近、朝ドラの『らんまん』にハマっている。
(毎週レビューを書くくらいには好きなドラマだ)

ドラマの中で、主人公・万太郎は
「この世に一つとして同じ命はないこと」
「だから自分にしかできないこと、使命があること」

を人に教わり、また自らもそう感じて、夢を追う選択をする。

今いる恵まれた環境を捨ててまで、好きなこと・やりたいことを志すという選択。
それは決して、簡単なことではない。
自らの将来に、生き方に向き合い、何かを選択すること。

その痛みと、そこに差し込む少しの希望を私は知っている。

私が思い出しているのは、コロナ禍と共にあった大学生時代のことだ。

この記事には 2020年春に撮った写真を使用しています

大学生のことをよく「モラトリアム」だと言うが、まさにその通りだと思う。
大人になるまでの準備期間。社会に出るまでの猶予。

大学生になりたての頃の私は、大学1年生も4年生もそう大して変わらないだろうと思っていた。
中1の時に見た中3の先輩も、高1の時に見た高3の先輩も随分と大人に見えたけれど、大学生にまでなると大きな見た目の変化はなかったから。

しかし、大学を卒業した今なら分かる。
大学1年と大学4年生、圧倒的に違う!!!!!

10代から20代へ。
その4年間は、選択の連続だ。
何の授業を取る?何のサークルに入る?何のバイトをする?授業に行く?休む?レポートをどう書く?インターンシップに行く?就活をする?何社受ける?何時に起きる?何時に寝る?

こうして大学生は「自分の人生」を歩み始める。「自分」に出会い始める。

そんな矢先に訪れたのが、コロナ禍だった。

外出自粛の呼びかけから、あっという間に緊急事態宣言が出された2020年の春。私は大学2年生から3年生に上がるタイミングの春休みを過ごしていた。

授業は全てリモート、所属していた演劇サークルの公演はもちろん中止、その次に予定していた夏の公演も中止を余儀なくされた。夏公演は私の学年の引退公演となるはずだった。

毎日のように顔を合わせていた大学の仲間たちに会えなくなり、1年生の頃から続けていた飲食店のバイトに行くのが怖くなった。
卒業後を見据えてプロの演劇の現場に飛び込んでみようと思っていたが、劇場は全て封鎖されていた。

何もかもが、閉ざされていた。

自分の部屋、ベッドの上。
一人ゴロゴロと寝転がりながら、色んなことを考えた。

「これからどうなるんだろう」
「みんな元気にしてるかな」
「リモート楽っちゃ楽だけど、気持ちオンオフの切り替えむずいな」
「いつになったら演劇できるかな」
「私より、一人暮らしの子の方が大変だよな」
「あの子大丈夫かな、心配だな」
「私より、今年入学の大1の方がかわいそうで大変だよね」
「何かサークルで面白いこと企画できないかな」
「私より、エッセンシャルワーカーの人たちの方が大変だよなあ」

色んなことを、考えた。考えたけれど。

そこにズシンと横たわっているのは、何より「不安」だった。将来への不安。自分への不安。

先の見えない暗闇の中にいるような感覚。
孤独。
考えてもしょうがないことを、考えたところで現状は何も変わらず何も解決しないことを、ひたすらに考えていた。
考えれば考えるほど自分の知らなかった自分が顔を出した。知らなかった。自分がこんなに面倒くさい奴だったなんて。分かっている気でいたけれど、全然分かっていなかった。自分のことが本当に嫌になった。不安。不安。不安!


苦しかった。


“モラトリアム”真っ只中にいた私は、まだきっと人ではなかった。人ではない何かだった。
人の形をしていなかった私にとって、世界が大きく揺れ動き、何の見通しも立たないことは恐怖だった。「何者か」になりたかった私にとって「分からない」ということは、最大の恐怖だったのだ。

考えていたのは結局「私」のことだったのだと思う。
コロナ禍の社会、友人のこと、授業のこと、演劇界の未来、、、様々な「答えのない問い」を通して私は、私自身のことを考え続けていた。

でもきっとそれは、コロナ禍特有のことではない。
あの時期の私が特段「考える」ということに傾いていたのはコロナ禍ならではの事だったろうけれど、そうでなくても私は、この問いに向き合わざるを得なかった。

「私は、どう生きていたいのか」

大学生というのは、モラトリアムというのは、その問いに向き合う時間そのものだ。それは決して、楽なことではない。

私以外の大学生たちも、未曾有のコロナ禍を過ごしながらその問いにきっと直面していたのではないか。それは就活という形だったかもしれないし、恋愛という形だったかもしれないし、また別の形だったかもしれない。

「当たり前」が全てひっくり返ったコロナ禍で
「日常」が唐突に消えていったコロナ禍で
「死」が少し身近になったコロナ禍で

「私は、どう生きていたいのか」

私にとって大切なものは何か。何を選び取って生きていきたいか。何を諦めなければいけないのか。どうしても捨てられないものは何か。

考え続けた時間が、今の私をつくっている。
そしてこの問いに向き合い続けることが、これからの私をつくっていく。


マスクのない生活に違和感を覚えるほど、コロナはすっかり私たちの生活を変えた。

「いつか教科書に載るのかな。新型コロナウィルス流行、って。」

大学時代、友達とそんな話をしたっけな。
コロナ禍が真の意味で「過去」となる日は来るのだろうか。
私には分からないけれど、分からないからこそ、生きてみようと思っている。

コロナ禍でリモート技術が一気に普及して、離れていても繋がることがより当たり前になった。
簡単に人と会えない時代を過ごして、人と人が対面して会うことの喜びを知った。
握手すら憚られるような世界になって、人が触れ合うことの尊さを知った。

私は、自分の大切な人たちと繋がっていたいと強く願うようになった。
自分の手が届く範囲なら、手を伸ばし続けると決めた。

その一つの方法が演劇で、その一つの方法が 掬-kikusuku(きくすく)- だった。

演劇で、同じ時空間を共有すること。
掬-kikusuku(きくすく)-というweb上の公園を作ることで、誰かの存在をより近くに感じられる時間を生み出すこと。
そうやって、人と人をつなぐこと。

それが、私の選んだ道だ。

ドラマの主人公のように、圧倒的な才能が、抑えられない「好き」があるわけではない。自分の使命なんてものがあるかどうかも、それが何かも分からない。

それでも『らんまん』に出てくる人々のように、
悩んで、迷って、時に諦めて、でもやっぱり諦めきれなくて、道なき道を必死に進むのが、きっと私の生き方だ。
彼らは教えてくれる。人は「自分」を生きることしかできないと。そうやって出会う作品が、人が、私に力をくれる。

「らんまんに、自分の人生を楽しんで」

コロナ禍で自分と向き合い続けた日々は、今の私にこう呼びかけてくる。
それがどんなに険しい道でも、過去の私が後ろを支えてくれているのだ。

written by ひなた(Twitter:@hinata_43z)
掬-kikusuku- 主宰・ライター
(HPはこちら、Twitter・Instagram共に@kikusuku)


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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:#いまコロナ禍の大学生は語る|青木門斗|note
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また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
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