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人を羨むのは失礼なこと:アンデシュ・ハンセンの最強脳

こんにちは。社会福祉士、精神保健福祉士のHinaです。気温が上がったり下がったりしていますが、体調にお変わりはありませんか?私はまだ花粉症というものを経験したことがないのですが、世間ではもう流行っているのでしょうか。


◇本の紹介

今日は本の紹介記事です。スマホ脳という本を書いたとてもハンサムな精神科医、ハンセン先生が書いた”最強脳”という本を紹介します。

・リンクはこちら(意外と薄い本で、とても読みやすい語り口調でした)

その中に出てきた、「天才」と「努力」の関係性に関する文章をピックアップしてお話しします。

◇モーツァルトの話

この本では主に、「脳を活性化させるために運動しよう」といった内容について説明しています。どんな運動がいいのか、なぜ脳に運動が効果的なのか、運動することで脳にどのような変化が起きるのか・・・そういった内容が気になる方は、ぜひ一度読んで見てください。私が今回紹介するのは、その中に一瞬だけ登場したモーツァルトの話です。

”モーツァルトには「音楽が降ってくる」らしい。”彼の才能を羨む人たちは、そう語り継いだと言います。つまり、何もしなくても自然とメロディーが降ってくるなんてすごい!と言いつつ、努力しているわけではないんだろうなという思い込みを持っていたということです。
そのことを本書では、「天才は生まれた時からそうだったと人は思いたいのだ」という表現で表しています。これを読んだとき、「思いたい」という部分にグサッと刺さるものを感じました。

◇才能を羨むのは失礼なこと?


私は、自分の見た目に対してコンプレックスを持っています。体型や顔立ちなど、見た目のあらゆる部分について、道ゆく人や時には芸能人と比べてしまいます。(比べては落ち込み、ダイエットを決意し、挫折し・・・というのを繰り返しています😂)
そういう人たちを見て落ち込んだ時、いつも私は「生まれ持った見た目が違うから仕方ないよね」と思うようにしています。自分を守る上では大切な考え方ですが、その考え方は時に失礼に当たるのではないか?と思ったのです。

中学生の頃、見た目がとてもかわいい友人のことを羨む私に対して、幼なじみがこう言いました。
「あの子は可愛いから良いなんて、失礼だよ。努力して獲得したものを可愛いから獲得したって言ってるみたい。」
この本を読んで、その発言を思い出しました。見た目が綺麗だから得をしている。私たちに必要な努力を、その人はしなくて済んでいる。このような考え方はあまりにも身勝手で、そしてあまりにも失礼な発言だったなと反省しています。
もちろん、体質やある程度の見た目の整い方はあります。軽自動車と大型のトラックの詰めるガソリンに差があるように、私たち人間の許容範囲や伸びしろにも個人差があります。しかし、そこに努力を見ようとしないのは勝手な視点です。

◇スタート地点が違うだけ


「私たちは」とひとくくりにするのもまた失礼な話かもしれませんが、少なくとも私は、人の努力を素直に受け入れることができていません。
もともと才能があったんだろう。
もともとお金があったおかげで、こんなレアな経験をしていたんだろう。
もともと持っている環境がいいんだろう。

いろいろな理由をつけて、その人にできて私にできない理由ばかりを探しています。しかし実際には、羨まれる立場にいる人の中で、何もしていない人などいないのです。
レベル100で生まれてきた人が目指す200と、レベル10で生まれてきた人が目指す200ではハードルが違います。ですが、今いるレベルから上がろうとした努力自体が見えなくなってしまうのは、失礼な話だなと思うわけです。

ということで、「天才は努力をしなくても良いから羨ましい」という考え方についてちょっと考えてみました。すごい人を見て羨むのではなく、その人の何が凄いのか、過程にはどんなプロセスがあったのか。そういったところに目を向けられる崇高な人間でありたいなと思った今日この頃です。

最近は保育士の勉強、記事の執筆、フォトウェディングに向けたボディメイクに励んでいるため、やると言っていた有料記事の執筆が滞っております。
頭で考えることだけは続けたいと思っているので、形を変えてでも記事の執筆だけは続けます。自分なりの心地よいペースを探しながらではありますが、できることを自分が納得のいく形で進めようと思います。

では、また💐

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