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反応ではなく意見が欲しい

こんにちは。Hinaです。
最近、社会派ブロガーのちきりんさんの著書を読み漁っています。

ちきりんさんについてはこちら↓


もともと自分の頭の中で悶々と考えることが大好きだった私。
小学生の頃から毎日感じたことや考えたことを日記に書き続け、今ではこうしてnoteで発信をしている私にとって
ちきりんさんの発信内容や、自分のアタマを使って考えることの必要性に背中を押してもらっている感覚があります。

ちきりんさんの発信内容は、noteという媒体を使って発信をしたり読んだりしている皆様にとっても非常に共感できるもの、そして学び大き内容だと思いますので、ぜひ一度ブログを訪ねてみてください。

◇「意見」と「反応」


さて、今回読んだのはそんなちきりんさんの「自分の意見で生きていこう」という本です。

◇他の職員との温度差


私は今まで仕事をしている中で、上司や他の職員との間に何かやりづらさを感じてきました。
私が働いている地域活動支援センター(地活)では、専任の職員が1名(私)と、他の部署と兼任の職員が3名います。最終決定権を持つ所長も、他の部署の所長と兼務です。
普段の活動において実働は私だけ、他の職員には利用者と一緒に外出をするなど人手が必要なときや私が不在の時の窓口など、適宜対応をしていただくといった形でサービスを提供しています。

私がやりづらさを感じていたのは、何か決定をする時や新しい活動内容を企画する際、私以外の他の3人と協議してから決定するというプロセスにあります。

現場で毎日クライエントと関わっている私と、他の業務で多忙な他の3人では、同じ温度(熱量)で議論するとのがとても難しいのです。

私が目の前のクライエントからのニーズをもとに考えた企画を提案しても
「じゃあ次の会議で検討しようか」
と、3週間後の会議で話し合いをすることになる。

会議当日も、開始時刻になってもデスクを立たず自分たちの業務(電話連絡や書類作成)の手を止めないため、結果として毎回20分以上開始時刻が遅れます。

他の会議には時間通り会議に向かうにも関わらず、です。

もちろんその後の予定も詰まっているため、1ヶ月の業務に対して元々与えられていた1時間という貴重な時間が、30〜40分になります。

この会議や地活の業務に対する優先順位が低いのだと思うのですが、特にやりづらさを感じているのは温度差ゆえに「意見をもらえない」という点です。

◇「議論」にならないから意見をやめた


例えば私が
「利用している皆さんから、このようなニーズが聞かれています。○人から意見をもらい、参加予定者と必要な職員はこれくらいです。地活の目的にも合っていますし、こういった活動をやってみたいのですが、皆さんどう思いますか?」と企画書を提案するとします。

その返答として返ってくるのは以下のような言葉です。

「うーん、実際に希望している人は誰なの?その人たちって本当にこの活動がないといけないのかな?」
「職員が一人ついていないといけないのはねぇ・・・いいとは思うんだけど」
「難しいねぇ」

私としては、賛成ですか?反対ですか?とまず他の職員から見たこの企画に対する意見が欲しかったのですが、いつもなんだかモヤっとしたまま会議を終えてしまっています。

もっと言えば、〇〇さんはどう思いますか?と直接聞くと
「ごめんもう一回言って」と返ってくることも。
そのような反応が返ってくると、この人はあまりこの議論に時間や手間を割きたくないというか、深く考えるのが面倒だと感じているのだろうな、と思ってしまいます。

最近は必要以上に議論しなくてもいいように、あまり議題を上げないようにしています。
議題に上げなくても良さそうな取り組みに着手しているのですが、色々考えてチャレンジしたい私にとっては少しモヤモヤが残ります。

その感覚から、自分の意見を主張することは避けるべき行為なのだろうか?と思うようになりました。
「私はこう思いますが、みなさんどうですか?」の返事が「うーん」「そうだねぇ」「難しいねぇ」といった曖昧な返事だったり
「必要性はどのくらいあるの?」「こういう場合はどうするの?」と言った質問だけしか返ってこない。

その反応に、考えて意見する意欲を削がれていたのだと思います。

◇意見することの必要性

しかしこの本からは、改めて自分の頭で考えること、そして自分の意見を主張することは間違いではないと背中を押してもらいました。

この本では、人の発言を「意見」と「反応」に区別しています。
意見と反応の違いは「ポジションがはっきりしているか否か」です。

例えば前述した”新しい活動”に関する議論の中で、賛成の立場か反対の立場かがはっきりしているのは意見。
賛成か反対かはっきりしていない発言は、単なる反応だということです。

そして意見せず反応だけをする人は、自分の立場を明確にするのが不安だからだと言います。
その立場としての意見が間違っていたらどうしよう、という不安です。

しかし、正解が決まっている事象でない限り、意見に間違いはありません。
ただその人はそう考える、という意見がそこにあるだけです。
複数の人の意見が集まることで議論することができ、議論を遠してその場における最善の策を検討することができるのです。

私は議論がしたくて意見を提示するのですが、それに対して曖昧な反応だけが返ってきている状況でした。
そこにモヤモヤを感じている中でこの本を読み、意見が欲しくてモヤモヤしていたのか!と納得しました。
私一人の考えでは、限られた視野の中でしか物事を見ることができません。
”他の職員と一緒に意見を出し合い議論をしたくても、それが同じ温度で返ってこない”が続いていたことで、私の中では何も進まない感覚に働きづらさを感じていたのだと思います。

その気づきを通して、改めて
もっと考えて意見する人を増やしたい。
もっと自由に考える人を増やしたい。
そんな思いがまた強くなりました。

では、また🌻


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