見出し画像

介護はプロに頼んだ方がいいと思う

こんにちは。社会福祉士、精神保健福祉士のHinaです。


◇雑談


先日、習慣づけたいことは小さく設定しよう、といった内容の記事を投稿しました。

私は毎月一回自分との振り返り時間を設けているのですが、その際に毎月の目標を設定します。今月の目標は、とにかく小さく小さく設定してみました。
今までは「瞑想を5分やる」とか「30分勉強する」とか、達成するために時間も労力も気持ちも必要な目標を設定していました。就寝前に「あ!やってない!」と気がついても時すでに遅し。結局「やれなかった」という意識が残るだけ。
ということで、今月は以下の3つを目標に設定しました。
30秒瞑想をする(今まで:5分瞑想)
あいうえお体操で顔を動かす(今まで:YouTubeの小顔体操10分をやる)
ほぐピラ(星野ゆか先生のピラティスほぐしのことです)を1箇所やる(今まで:15分かかるルーティーンをこなす)
一箇所だけやる、30秒やるだけでも、やり始めてしまえば結局もっと長い時間やってしまいます。このまま習慣づいて、体と心が変わっていくといいなと思います。

◇家族の介護はプロに任せるべきか否か

さて今日は、「家族の介護をプロに任せる」というテーマでお話しします。

・プロ(他人)がケアした方がいい

まず私の意見ですが、私は圧倒的にプロに任せた方がいいと思っています。
先日紹介した「気持ちいいがきほん」という書籍に、こんなことが書かれていました。
家族に介護されてると、ありがとう以外に辛い気持ちを吐けなくなる。
その言葉にハッとしました。思い返せば、私もそんな経験をしています。
私は今年の夏に、コロナになりました。一緒に住んでいた彼から感染しましたが、彼の方は寛解しかけの頃に私が感染。そんなわけで、彼に食べ物の調達や洗濯などの家事をお願いすることになったのですが、普段自力でできていたことを改めてお願いすることに罪悪感を抱いていました。
彼は寛解していたため、寝込む私のケアをしてから出勤し、食材を調達してから帰宅し、帰ってきてからも洗濯などの家事をしてもらうことになります。私はというと、ただ寝ているだけ。この状況がたまらなく辛かったのを覚えています。

・「ケアされる」罪悪感

障害者福祉の現場にいると、どうしてもご本人よりもご家族が抱える大変さに目が向きます。「毎日こんなに小さなケアを積み重ねて大変だな」「お母さんも仕事があるのに辛いだろうな」など、ケアをする人が大変だから各種サービスを調整してケアの負担を減らそうとします。
しかしよく考えてみると、ケアされる側にも罪悪感に似た辛く苦しい感情があるのではないかと思うのです。
他の人はできているのに、自分はできない。他者のケアが必要で、誰かに何かしてもらいながら生きている私。
そんな自分に対して、少し苛立ちに似た、行き場のない思いを抱えている人もいるのではないかと思います。
私が関わっている障害者という立場の人たちだけではなく、多くの人がこの「身近な人に助けられている罪悪感」を感じ得ます。そしてその罪悪感は、「辛いけど、やってもらっているのだから前向きな発言をしなければ」という感情の抑制にも繋がりやすいのです。

・家族ではなく、他人がケアする意味

今一度、家族ではなく他人がケアをする意味を考えてみます。ケアされた側が素直に気持ちを吐露できる相手になれるのは、身近な家族よりも他人の方だと思うのです。もちろん、家族だからお願いできることもあります。阿吽の呼吸で成り立つ会話に、細かい要望、家族間でのスキンシップなど、家族によるケアだからこそ得られるメリットもたくさんあります。
しかし、苦しい気持ちや辛い感情を抑制せずに伝えることができるのは、やはりお金を払ってサービスを提供してくれるプロの他人ではないかと思うのです。自分が「苦しい」と言ったところでただその事実だけを「そうなんですね」と受け止めてくれる他人。自分が「苦しい」と吐露することで「お母さんがこんなに辛い思いをしているなんて」と悲しんでくれる娘。「苦しい」と言いやすいのは、どちらでしょうか?

心を許していることと、マイナス感情を吐露できることはまた別の話なのです。

・まとめ


ということで、今日は私が介護はプロに頼んだ方がいいと思う理由について考えてみました。身近な人のケアに、積極的にプロの手を使ってくれる人が増えるといいなと思います。

では、また🌸


いいな!と思ってくれたら、ぜひサポートをお願いします!! いただいたサポートは本業、発信活動のために使わせていただきます。 皆様の温かいサポートがとても嬉しいです。ありがとうございます!