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他人と同じ気持ちにはなれない

こんにちは。Hinaです。
今日2つ目の記事になりますが、新鮮なうちに気持ちを言葉にしておきたいので、投稿します。
昨日は久々に、関東から帰ってきた幼馴染と会えました。
彼女と、私の彼との間にあるモヤモヤについて語り合ったことを共有させてください。

◇気持ちを分かってもらえない


先日、私は一緒に暮らす彼と珍しく言い争いになりました。

少し前に、彼の知人からきつい物言いをされました。
(私事ですが、婚約しました。近いうちに”夫”という表記になっているかもしれませんが、ご承知おきください。)
私はそれに対して強くショックを受け、いまだに”嫌だ”という感覚や”辛さ”が残っています。
彼もその場にいて同じ言葉を受けていますが、彼は全くショックを受けていません。
あまり誰かから何か言われたところで、気にしない性格なのです。
私はと言うと、今後もその人と付き合いがあるかもしれないという不安もありました。
そのため、「私がこの人から受けた発言についてすごく傷ついており、今後のその人との関係性に不安がある」ということを知ってもらいたかった私は、彼に心情の説明を試みました。

「あなたは嫌じゃないかもしれないけど、私はすごく嫌だった。」
「今でもすごく辛くて、もうこういう経験をしたくないと思っていることをわかって欲しい。」

私が感情を表情に乗せてそう伝えれば、彼は私のこの気持ちをわかってくれるだろうと思っていました。
しかし返ってきたのは
「何度もそれについて嫌だと繰り返してるけど、結局どうして欲しいの?」と。
重ねて説明を試みた私は「それについて辛いって気持ちをわかってもらいたいだけだよ」と伝えましたが
返事は「それはわかったけど、それに対してどうして欲しいか分からないよ。」
と少し怒り気味な反応でした。

この人は私の気持ちに対して共感していない

そう感じました。

しかしその話の後、彼はしばらく頭を悩ませていました。

その件について幼馴染に話したところ、彼女はこう答えました。
「相手の辛い気持ちに共感をしてあげたいのに、その気持ちを自分の中で作ることができないのが辛いんだと思うよ。」

相手がある事象に対して辛さ、苦しさを感じていることは理解している。
しかし、その辛さと同じ気持ちを自分が感じることができない。
もっと言えば、同じ気持ちになってもらいたい(=共感されたい)という相手の思いも理解しているが、それでも自分の中に同じ気持ちを作ることができない。
彼女曰く、それが彼を悩ませているのではないかとのことでした。

それを聞いたとき、私は”価値観が合う人は私の話に共感してくれるはず”と思い込んでいたのだと気が付きました。
一緒に暮らす家族やパートナー、親しい友人となら、少なからず似たような感情を共有できるはずだと思っていたのです。
もっと言えば、これだけ近くにいるのに共感してもらえないのは、相手に”寄り添う意欲”がないからだと思っていました。

しかし実際には、どう頑張っても共感できない気持ちがあるのです。

◇感情表出の大小


私と彼には、感情表出の大きさに差があります。
平均的な表しレベルが100とすると、私は同じ出来事に対して200のパワーで表します。
例えば、ワールドカップのゴールが決まった瞬間のダイジェストを数分観ただけで、選手の苦労や努力を想像して泣けてきてしまいます。
クラシックコンサートでは、最初のファンファーレで感動して涙を流しますし
どんな映画を見ても、必ず泣きます。

対して彼はそういうではありません。
平均が100とすると彼は50ほど。
私が涙を流す隣で、表情ひとつ変えず同じ景色を見ています。

しかし、感動するポイントは私と同じです。
映画の好きな部分や感動したセリフなど、同じ点について私と同じように”感動”しているのです。
お互い感動しているけれど、同じだけ感情が湧き上がっているわけではなく、また同じ解像度で感情が表出されるわけではありません。

それを分かっていなかった私は、彼に対し”同じ温度で、同じ量の感情を持って欲しい”と思ってしまっていたのです。

◇身近な人だからこそ、共感を求めてしまう


私は学校や会社での人間関係において、自分で心のシャッターの上げ下げをすることで関係性を調整してきました。
この人は私の話にどこまで共感してくれるか?
それを考えながら、どこまで打ち明けるかを調整しています。

・Aさんにはここまで打ち明けても共感してくれるから、なんでも話せる=シャッターを開放して関わる。
・Bさんからはあまり共感を得られないから、きっと価値観が大きく違うのだろう。深い話はせず、ありきたりなことだけ話そう。=シャッターを下ろす。

このように、関係の濃度を調整することで、心地よい人間関係を保ってきました。しかし一緒に生活をする彼や他の家族、友人も含め、近しい人には”私の思うこと共感してもらいたい”と期待をしていました。

むしろ、”期待をしない事は親しい相手に対して諦めの姿勢を見せることであり、それは信頼していないということだ”と思っていました。

しかし、同じ温度で同じ出来事に対して向き合ったり、同じ出来事から同じ影響を受けることは不可能で
いくら近しい人であったとしても、私が負った傷と同じ傷を負うことはできないのです。
長く一緒にいるから、価値観が合うからといって、同じレベルで共感できるとは限らない。

私が彼に対して頑張って感情を伝えたとき
「この気持ちわかるでしょ。理解しようとしてくれるよね」と感情をまっすぐにぶつけてしまっていました。
感情をぶつけられた時、同じ感情になってあげられない苦しみを感じてしまっていたのかもしれません。

近しい人と”心”を共有するときには、自分と同じ気持ちになることを求めずに、言葉で冷静に説明する意識が必要なのです。
そうすることで、相手は”その感情を持つことができない自分”に対して罪悪感を持たずにいられます。
親密な人間関係になればなるほど、相手に完璧な共感を求めてしまいがちです。

家族なんだから。
近くにいるから。
だから、わかってくれるはず

そうではなく、自分と相手はあくまでも他人であり、同じ感情を持つことができないことを忘れずにいようと思います。
相手に完璧な共感をを求めず、きちんと説明をする。
年の瀬になりますが、来年以降の人間関係において気をつけたいポイントです。

では、また🌻


今日の「もう一つ読むなら気持ち」は、価値観や多様性に関するこちらの記事です。
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