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第一志望の高校をどうしようかと決めた話(小さな分岐点)

一度も岐路に立たなかった人などいないだろう。年を重ねるたびにその岐路の選択によって人生が大きく変わっていく。それは失敗をしたらそこからの時間が短くなっていくからかもしれないし、それまでに抱えてきた自分なりの人生観が時には邪魔をするからかもしれない。

私の大きな分岐点は「結婚」だった。この話はいつか心の中を整理して書きたいと思う。今日は小さな分岐点の一つ「高校受験」について書くことにする。

なかなか第一志望の高校が決まらなかった。将来の夢も理科が好きだったから理系に進みたいと思うくらいでかなり漠然としていたし、公立か私立かも決めていなかった。あのころは本当に高校受験を安易に考えていた。当時好きだった彼が狙っている高校にしようなどと思っていたが、その彼が第一志望にしていたのが男子校だった。などと全く将来を見据えていなかった。

その後、自分の偏差値レベルの高校の資料を集めて読み比べた。資料には授業の進め方などは書かれていたが正直どの学校も大きく変わらなかった。そこで年間行事に目をつけることにし、

「マラソン大会」

と書かれていない高校を探すことにした。とにかく運動が苦手であり、その中でも苦しいマラソンはトラウマになるくらいに嫌いだった。結局そんな単純な理由で第一志望を決定し、その高校に通うこととなった。

しかしマラソン大会は存在した。確かに年間行事にマラソン大会は書かれていなかった。私は騙されたのだ「クロスカントリー大会」という言葉に。当時クロスカントリーという言葉を知らずに遠足かなにかと勘違いしていた。本当に大バカである。しかも高校の近くに自衛隊があったからか、その演習場が大会会場だった。女子は約8km、男子は10kmという今まで経験したマラソン大会よりも過酷で、その大会のたびに「高校選択を間違えた」と何度も後悔した。

とはいえ、3年間この大会に参加し最後まで完走した。走ることに対して努力をしていないためもちろん順位は微妙だったが、走った後の達成感はなんともいえなかったことを覚えている。走ることを職業や趣味にしている人たちは、その感覚を求め日々努力をしているのだろう。

私にはできないことだ。

高校3年間は楽しく過ごしたし、またその後の人生にも影響がある出会いもあった。マラソン大会の有無で学校を選択したことはあまりにも安易だったが結果的には良かったのだろう。違う選択をしていたらもちろん違う人生があったはずだが、それを知る由がないのだから。