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価値観について

「価値観」について、人と付き合っていく上で時々頭をよぎることがある。

ヤマシタさんの「意見の割れる問いは、価値観のリトマス紙」を読み、私なりの価値観についてを書いてみようと思った。

意見の割れる問いは、価値観のリトマス紙」に書かれている「お金のゆとりが心のゆとりになるのか?」という問については、私個人の意見としては「YES」と思っている。会社員という立場であるため個人の生活における部分の話にはなるがやはりお金は無いよりは有るほうがいい。「愛があればお金なんていらない」とは正直言えない。大金持ちになりたいとかそういうことではなく生きていく上ではお金は絶対に必要だからである。そしてその絶対に必要でありながらも、毎日そのお金の不安を持って生きている現実はどうしても心のゆとりを産まない。

そういう意味で「お金のゆとりが心のゆとりになるのか?」はやはり「YES」だと思っている。

ただ、ヤマシタさんがその前に書いた「お金持ちほどいい人が多くて、貧乏人ほどクレーマーな現実」のタイトルの通りお金持ちはいい人、貧乏人はクレーマーなのかというと、それは「統計的」にはそうかも知れないと思う部分はありながらも、YESとは言い切れない。

価値観というのは、お金に対してだったり、時間の使い方だったり、食に関してだったりと色々あるが、自分の中にある価値観と人が感じている価値観との相違を比較し、言葉は悪いけれどこの人は私と合うかどうかを無意識に「選別」している。きっと誰もがそうだと思う。

性格の違いというのは愛で凸凹を補えるが、価値観の違いというのはどちらかが我慢して付き合っていかなければならないのではないかと思う。あまり親しくない人であれば「そういう考えもあるよね」でいいが、パートナーや友達の価値観の相違はどこかで歪みがでてくると思う。

自身の結婚生活でその歪みが大きくなり失敗した経験からそう思う。

そもそも、うまくつきあっている人については「価値観」ということを意識したことがない。たぶん「価値観」が合っているというのはそういうことなんだろうと思う。

むしろ違和感を感じるひとだからこそ「価値観」が気になるものなのかもしれない。

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▼意見の割れる問いは、価値観のリトマス紙


ちなみに、お金については以前こんなことも書いてます。
※「#お金について考える」で入選した作品です。

▼愛があればお金なんてというけれど、やはりお金は大切だし幸せになりたい。