コラム クリエイターのための批評をやるという事

どちらかと言うと批評家の制約や困難な状況を認識しようという展開になるかもしれませんが、まずやってみます。


批評家や業界の現状から確認すると、クリエイターに較べ新人にチャンスが少ない一方、アマチュア層は同様に広がりを見せています。

例えばラノベの場合、1レーベルに1新人賞といった具合にチャンスと選択肢がありますが、批評で商業デビューとなると新潮とSFマガジンが手を引いて以来もう大手は群像くらいしかありません。元々の需要と絶対数の差があるとはいえ、多様性に欠けるにも程がある。ケタ違いです。あとは出版社に就職してライターも経験してから独立して批評家を名乗るとか、もう新卒時のチョイスで全てが決まる水準のコース。pixivで絵を見せたりインスタで写真載せたりみたいな分かりやすさとも無縁の内容からして、機会が失われているのも肯ける話です。肯きたくはありませんが。

批評のベーシックな売り方というものを想定するに、業界向けに限定するならまずは現代思想や批評理論や哲学の概説を押さえて大学院で論文書いたり海外の最新の論文をチェックして論文書いたりといった辺りか、あるいはサブカル評論なりなんなりで批評同人を書くなどがデビューへの前提と近道になるでしょう。

その批評家が広告屋でも宣伝担当でもない場合、ただでさえ少ない仕事と利益の為にジャンル問わず何でも語らなければならないとすると、好きなもの褒められるものばかりを題材にできるわけでもなく、どこかで必ず批判するケースが出てきます。その辺りのバランスを取るとしても、メディアの制約の中で書く事の難しさは継続の足枷になりやすいでしょう。逆に自身の理念がなければ批評ではなく編集者や出版社の言うがままに記事を書く所謂提灯持ちになってしまいます。

アマチュア、同人批評の場合、統計的なデータ分析が容易になりかつコンテンツ、タイトル数の増大もあいまって、非常に多様で個性溢れるラインナップが揃っている状況ではありますが、果たして採算が取れているのか不明ですし、個々の質が高いとしても対象となるメディア・ジャンルの幅も相当に広いと見られる為、大きなムーブメントと言うにはまだバラけている印象が強めかと思います(散発的は言い過ぎかな、くらい)。

そしてここが肝心なのですけれど、大抵の場合、批評は批評で終わってしまう、という事です。外部の題材を批評する→批評の読者が読む、で終わりか、あるいはまた何かの批評を引き出す程度で、批評が批評の外に引き出される事があまりに少ない。それは作品が批評の枠内に入っていく経路を持つ事に対して、反対に批評が作品の枠内に入っていく経路が狭く細いという事を意味します。皆無でこそありませんが、批評はジャンルやメディアを横断する文化的化学反応の事実上の終点となるケースがあまりに多いのではないでしょうか。それは文化的営為の吹き溜まり、掃き溜めであり、淀み、滞りが澱となって堆積していて、誠実で正確な内容は掬い上げられる事もあろうけども、ただ批評の為の批評、批評の外に出ていく経路に乗せる気のないドメスティックな内輪受け狙いの批評は沈滞したままに折り重なり埋もれていくだけ。

大体が批評の伝統の名の下に欧米から輸入した哲学、思想、批評理論を学び研究し振りかざす、その振りの見事さ(これも内輪の基準)を競うかのような状態を是認し続けるまま、外部から取り込み達成した成果を再び外部へ送り出すなど二の次という不甲斐ない実情を等閑視し、平和ボケよろしく批評の内情と一時の評判ばかりに心を砕く閉鎖性と排他性と属人性と俗物根性との絶妙な均衡によって維持されている批評業界に、新しい可能性や未来などあるのでしょうか。あると言えばあるでしょう。これまで安定的に存在してきた以上これからも安定性はそれなりに保たれるでしょうし、その主因たる要素はやはり早期に壊滅するようなものではないからです。その安定性の上に、新しい可能性と未来は必ずあります。たとえどれほど僅かであっても。

しかしながら、可能性や未来は他にもあり、時代性を鑑みれば、クリエイターがこれほどまでに増えている時代にはそれに相応しい批評の可能性があるはずで、僕はその方向に向かって切り拓いてみたい。批評の書き手を含む批評の読み手しか読まない批評ではなく、クリエイターが読む批評を。批評を閉鎖的な批評文化の内側に閉じ込めるのではなく、批評が外に吹き抜けていくように。自分の書きたいように書くのではなく、内輪受けに特化したのでもなく、ましてや世間やファンの動きを睨みつつ自らの言動によって注目を浴び自慰的な高揚を得んが為などではなく、文化を豊かにし世の中を面白くする為に。

作品と批評の新たな関係を作る事によって、クリエイターと批評家が、共に文化を豊かにする未来を描けないでしょうか。

重要なポイントが1つあります。それは、恐らくクリエイターは面白い作品を必ず作るでしょうから、この未来図への到達は、ひとえに批評家の、即ち僕の働き如何に懸かっているという事です。批評の閉鎖性を乗り越え、積極的にクリエイターにアプローチし、より豊かな作品、ジャンル、メディアを築く事に関わり、そして1人でも多くの批評家がクリエイターの為の批評をしたくなるように仕向けていく事。ムーブメントを担い、システムを構築する事。

思いの外スケールの大きい、遠大な計画になりましたが、先々の展開まで視野に入れた推測というものは大概壮大なスケールに発展するものでして、実現するかは未知数ですし、するとしてもまずは最初の小さな1歩から、きちんきちんと積み重ねなければなりません。幸いにして今の僕には時間も期間も文字数も約11ヶ月分程あるので、あれこれこまごまと回り道しながらじっくりたっぷり取り組む事ができます。やったね!


というわけで、素敵に描いたクリエイターと批評家の新しい未来の為に。






(註・埋め込みツイートは特に関係ありませんが、強いて言えばコラムが3回続いた事にちなんでいます)





(クリエイターの為の批評コラム、スタンバイ)

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