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「好き」の気持ちはバランスをとらない

5月にダンスサークルの仲間とフリーステージに参加しました。

昨年の12月から振り付けを教わり
2月からチームでの練習が始まったので
およそ5か月間
毎日フリーステージのことを考えたり自主トレしたりと
準備期間は、わたしにとって長く感じられました。

疲労回復のために、食事にも気をつけたり
スケジュールもダンス優先で動いていましたので
フリーステージの本番が終わったら
あれもしたい
これもしたい
という気持ちは少なからずありました。


ところが!

フリーステージの本番が終了してみると
わたしの中には
「ご褒美」を求める衝動的な気持ちはまったくありませんでした。

ただ、ステージの余韻に浸って幸福に満たされている自分がそこにいて
この半年あまりでついたダンスの基礎練習の習慣を
淡々と続けていくことに喜びを感じている
そんな自分が其処にいました。

フリーステージ前のわたしなら
「ご馳走食べたいな!」
とか
「お気に入りの店のパフェを食べようかな!」
など
自分へのご褒美を選ぶところなのに
どうしたことか、心はまるきりご褒美を求めていない…
なぜなら、既に達成感という、特大のご褒美をいただいているから…


かなり前に
ポカリスエットのダンス部のYouTubeで
シットキングスのshojiさんが
「スキなものに夢中になっているとバランスをとろうとしない」
という内容のお話をされているのを見たことがありました。

人間は、良い事をすると、ちょっと悪い事をして
自分の中のバランスを取ろうとすることがある
「いい子に努力したんだから、ちょっと好き勝手に行動してみたい」
少し「悪いこと」をして帳尻を合わせたいという気持ちがある。
でも、「大好きなこと」に夢中になっている時
心はバランスを取ろうとはしない。

その話を聞いた時
わたしの中には実体験として共感できるシーンはありませんでした。

考えてみると
子どものころには、ご褒美を求めていませんでした。

学校を卒業して社会に出てから
「ご褒美システム」が発動していたように思います。

仕事を頑張ったので飲みに行きたい。
無理をしたので週末は遊びたい。
好きなものを好きなだけ食べたい、等。

今回、大好きなダンスに
心も身体も時間も使い切ったけど
確かに「ご褒美」は欲っしていない自分がここに存在しています。

そして、更に自分の心を整理してみると
ダンスと編み物に関しては
たとえ疲労したり苦労したとしても
代償を求めるような心の動きはなく
むしろ、休養したら次へ駒を進めたいという
ただその気持ちしかないなぁと思いました。


わたしは常日頃、比較的
好きなことを見つけるのに苦労はしないタイプなのですが
時々、ダミーが混じることもあります。

「好きだ」と勘違いして長期的な計画を立てたり
衝動的にチャンスに乗って行動してしまったり。

もちろんそのこと自体は、無駄な経験にはならないし
むしろ、自分の幅を広げる経験になるとは思います。

ただ、そのような行動を繰り返す期間が長くなれば
わたしの行動には周囲も影響され、影響の波動はこちらに戻ってきて
進路は大きくズレてしまいます。

角度が1度ズレただけでも
遠い延長線上の辿り着く地点は、大きく変わってしまうことでしょう。

わたしの目指す北極星は
『究極の自分になること』

もっともっと感性を研ぎ澄ます必要があるし
自分の世界観について考えた上で選択することが大切だ、と思う
今日この頃です。




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