お洋服を1000枚捨てたという本を斜め読みして、突然気付いたこと3つ
お洋服を1000枚捨てたら人生が動き出す(1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話 | 昼田 祥子 |本 | 通販 | Amazon)なんて魅力的なタイトル!と思って手に取った本です。
私は、自分と同世代の人の親がみなそうだったように、「物を大切にしなさい。」と躾けられました。だから、使えるものを捨てるなんてとんでもなかった。
私は、同じ世代の人の上司の多くが仰った、「人を大事にしなさい。」という教えを守ろうと努力してきました。
結果どうなったか、物の奴隷となり、気付けば職場でも、私の方が立場が上のはずが、ゴミ捨てに至るまで私がやって当たり前。職場でも奴隷状態。
それでもね、体力気力が充実していた時はどうにでもなった。大量にものを持っていたって、その存在を忘れることはなかったし、書類の塚のどのあたりに何があるか覚えていられる人だったから。
妙に責任感があったし、不平不満を言ってはいけないという親のしつけもあり、「美しい環境から正しいデータ生まれる」をモットーにしていたから、自分が率先して何でもやらなければならないと思いこんでやってきた。
けどね、女子はホルモンが急激減ってしまうから、ご多聞に漏れず私もその影響をもろに受けて、体力はあっても気力がない。脳味噌が溶けてきているのか、何でもすぐ忘れてしまう。
じゃあ何を削るか。この手の本はたくさん買って読んだのだけれど、この本で突然気付けたことについて書いてみたいと思います。
1.ものがあるのは誰のため?
昔は同じ服を着ていると、いじめられたりすると言われて渋々ある程度の服を持っている必要があることに同意していた。本当は人からどう見えるかなんて、もともとあまり関心はなかった。だって、人は自分が思うほど他人に関心なんてないだろうと思うから。それも、特にお洋服は、有名人がこぞってUNIQLOになってから、さらに気にする必要もなくなったよね。
自分が気分よく過ごすためにお洋服も存在するということ。まだ着れるからと言って、捨てずに覚えきれない服でクローゼットパンパンにする必要なんてないですよね。もっと捨てよっと。
2.仕事をするのは何のため?
もちろん最低限は食べていくために必要だからするのだけれど、そもそもいい仕事して、他人様のお役に立ちたいからがんばる。
そう言う私は、気付くと奴隷状態。何でもやってしまうから。
自分を雑に扱っていいと自分がOKサインを出してしまっているから、他人にぞんざいに扱われる。
究極仕事は自分のためにするもの。自分が幸せにならないような働き方も全捨てだ。尻拭いももう止めた。
3.人付き合いをするのは何のため?
集団として協力していくために必要なことはやったらいいと思う。吸い取れるだけ吸い取るような人とは距離を置いて、もう付き合わないでもいいんじゃないかな。
いい仕事をしていくために輪を広げていくのは大好きだけれど、膠着状態で自分の責任にならないようになれ合いでくっついているのは、傍で見ていてもみっともない。
自分がうまくやれなかったらごめんなさい!と言うしかない。ダメだと認められる人は信用できると私は思う。何でも他人のせいにして、自分だけ生き残ろうとしているのは短期的には、危機回避できたように思うかもしれないけれど、そういう仕事の仕方をする人には未来はない。
私は変わり者だから、そういう群れにいる時間がもったいないと思ってしまう。少なくとも私には不要な時間。
頑張る若者には手を差し伸べたいし、頑張って世の中を良くしようとしている人は全力でサポートしたい。それだけやっているだけでも私の持ち時間は精一杯。
いろんな生き方があるだろうけれど、服は覚えていられるだけで十分だし、仕事は本当に自分でないとできない仕事だけやればいい。そして一生懸命頑張る人にお時間を割いて、ちょっとでも世の中が良くなることに貢献出来たらそれが一番素敵な人生じゃないかと思う。
一家の大黒柱の男性など、こんなこと言ってられないよ、甘いよ、っておっしゃる事と思う。誤解を恐れずに言えば、こういう気ままさが女子の特権。昔は女子に生まれて損だなあ・・と思うこともゼロではなかったけれど、今は心から親に感謝出来ます。ありがとう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?