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意味のないことは楽しいこと

年明けから英語の勉強を始めた。

最初は2行ぐらいの日記を英文にする英語日記をやっていたが、中学英語すら何も覚えていない、何もわからない私が調べながら英作文をするのにはけっこうな時間と労力が掛かる。そのため1ヶ月も経たずこの習慣は自然消滅してしまった。


それと入れ替わりに自然発生したのが、YouTubeで毎日更新される英語チャンネルを朝ごはんのときに観ること。

内容は徐々にスローになってゆく3段階のスピードでの英文聞き取り、リピート練習、3日前7日前の内容の復習がセットになったもの。

英語ビュッフェ【 毎朝7時配信 】


2ヶ月ほど続けた結果、最初は「ちょっとなに言ってっかわかんない」状態だった英文がじわじわと少しずつ見えるようになってゆくのを感じる。

すべての単語が聞き取れなくても聞き取れた部分の前後の関係で意味だけポーンと浮かんでくるようになったりして、意外と面白い。



私が学生の頃といえば紙の辞書もしくは電子辞書を活用して調べたり、難解な教科書を読むしかなかった。そのため英語から離脱していった者が多かったように思う。

時代は進み、現代。わからない部分を検索すれば丁寧に解説した例文付きの記事がいくつも出てくる。YouTubeでは有料級のレッスンがいくらでもある。

私が英語に触れることのなかった数年の間に、なんて英語学習しやすい時代になっているのか…めちゃくちゃ驚いた。


前置きが長くなったが、この記事で私が言いたいのは「みんなも英語を勉強しようよ!」ということではない。いやいや、そんな訳ない。


 

意味のないことは楽しい、ということだ。


いま海外に行きたい欲がある訳でもなく、英語を話す友人がいる訳でもない。翻訳AIも進化しているし、今後さらに英語を学ぶ必要のない時代になっていくだろう。

もちろん仕事でも英語を使うような機会を持たぬ私が、なぜ毎日英語を勉強しているのか………。



 

意味がなくて楽しいからである。


なにか目標に向かって習慣を作るのは立派なことだ。ただ、それは義務となって、時として自分自身を苦しめる枷にもなる。

とくに英語のように時間を掛けて習得しなければならないものなど、好きでなければ続けるのは相当しんどいと思う。


ただ、人生は有限。
 
私たちが日々何をするか、何をしないか、それは命の使い方に他ならない。

目的に沿わない無駄なことに足を取られるのが馬鹿らしくなったり、逆に「無駄なことこそ遊びだ」と心からの開放感を感じられたり。

どちらにせよ、それがいま本当に自分のやりたいことなのかどうかは、いつも間違えないようにしたい。他人に誇れる人間になったとて、いつかは呆気なく死ぬ時が来るのだから。


 
私の英語学習…脳トレぐらいにはなることを期待。



 

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