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函館帰省(ゴールデンウィーク、2019)

今年のゴールデンウィークは、外の様子が歩いていても平日と変わらなかったので、ゴールデンウィークそういえば終わったのか!という感じでしたし、毎日毎日パンデミックのニュースばかりなので季節感を忘れ、時間が気が付いたらあっという間に過ぎていて、そういえばもうゴールデンウィークだという感じでもありました。


そして、ゴールデンウィーク最終日にそういえば1年前には函館に行ってたなというを思い出しました。今回の記事では、懐かしさや、1年早かったなー2020年ももう少しで半分迎えるなーとかそういう思いもあってその去年のゴールデンウィークの函館帰省の話をしようと思います。

私の母の生まれ育ち故郷です。最後に帰ったのは大学1年生の夏で、約4年ぶりです。私の故郷ではないので帰ったという言い方は少し変ですし、帰省という言葉も正しいのかわかりませんが、母の言い方に吊られて言いがちです。それと、私は函館で生まれてから関東に来ましたがその後も色々な場所を転々としていたので故郷という故郷がなく、唯一子供の時に1年に1回は行っていた函館が私の心の故郷という感じなのです。

私と、私の母だけではなく、私の母の弟家族も一緒に帰省しましたので、一家勢ぞろいといったところです。

私も母も電車旅が好きなので、4時間かかってもコストがかかっても函館へは絶対新幹線で行きます。飛行機で行ったのは人生で2回程と数えられる程度です。

今年は全く想像できませんが、東京駅は混み込みで、新幹線の指定席を待つ際に自分の席に近い入口に並んでいる列が長蛇になる程でした。

新幹線は、お馴染みの緑の細長い顔の東北新幹線はやぶさです。所要時間は約4時間です。

以前は、青森県の八戸駅まで3時間、乗り換えて八戸駅から青函トンネルを通って函館まで2時間の合わせて5時間でしたので、乗り換えの必要もなく4時間で着いてしまう今は随分早くなりましたが、私は電車にできるだけ長く乗り、風景の移り変わりを楽しんだり、八戸で降りて少し駅を散策したりすることも函館旅の醍醐味でしたので、今は少し味気ないなーと思います。それにも色々な思い出があって、例えば、ある時は乗り換え時間が8分しかなくて、急いで間に合ったーと思ったら違うホームだったとか(笑)焦りましたねー

乗り換えなくてよいのはぶっ通しで眠ることができるので疲れている時には良いのですが💦

今は亡き、北斗星に乗って行った思い出もあります。私は確かまだ5歳とかでしたので、正直電車の中に部屋があって、部屋の中にベッドがあって、そのベッドに寝た記憶しかなかったですが。子供ながらにいつも見ている乗っている電車とは異なる非日常的な部分に目を奪われていたのでしょうか。今はもっと北斗星に乗っていたことの重要性とか幸せをもっと噛みしめていれば良かったなと思います。何を考えていたかすら覚えていないですが(笑)

話を戻して、、、4時間の旅を終えて、初めて到着しましたのが、函館新北斗駅でした。駅は2-3年前にできました新品で、お土産場所が充実していました。私の母の実家は桔梗駅というところにあるのですが、そこへ行くためにはローカル線を3駅程乗る必要があり、次の列車まで時間がありましたのでお土産を見てぶらぶらしていました。


私は1年程前からアルコールにはまりまして、様々なアルコールを試してみたいという思いがありましたので、北海道のアルコールを集めたショップでユニークなお酒を購入していました。一方で母は、ミニゲームセンターでユーフォ-キャッチャーで羊のショーンを二つゲットしています。とても上手なんですよね。

ローカル線の時間になり、やっと乗りますと、びっくり。今年は全く信じられないと思いますが、列車が満員電車です。まずこのローカル線、北海道新幹線が開通しました時に同時にできました函館ライナーというのにあたりますと、4両か6両車両があり通路が広いのですが、昔ながらの車両にあたりますと、1両、多くて2両です。私たちはその昔ながらのものに当たりまして、そしてゴールデンウィークということで勿論旅行客がわんさかいまして、席の数ももともと少ないのですが、それは勿論、通路まで人で埋まっていまして、息をするのも大変でした。混んでいなければ、昔ながらの知らない人と向き合って旅を共にする車両の方が好きなのですが。

更に、昔から乗っています電車なのに、時々一つしかドアが開かないことを私たちは忘れていました、そして、大変な時に私たちは桔梗駅に一つだけ開くドアから最も遠いところの座っていました。それに気が付いたとのが一つ前の駅の五稜郭駅前で、5分程ありましたが、到着した時にやっと出口までたどり着けたという様な感じです。

ひと運動しました。とともに、このゴールデンウィークの混むとわかっている時期くらい車両の数や電車の本数増やせないのか、と文句を言いたくなりましたが、JR北海道はひどい赤字だという話も聞きますので、一筋縄でいかないことは十分承知しております。

あいかわらず桔梗駅は全く変わっておりませんでした。私たちが降りました駅は、改札、(といっても都会の様な自動改札はなく)、とは反対側の駅でして、駅の歩道橋を昇って反対のホームまで行って、やっと出口にたどり着きます。

待合室を通って、そして遂に桔梗の街です。目の前には道路があります。結構大きくて函館の中で重要な道路だと思います。母の弟家族と母と私で祖父の家まで歩いて行きます。

駅から自宅までは踏切を通るのですが、約5分程です。匂いや、昔からある家が今もあること、道路沿いのお店はよく変わりますが、私の中の田舎の原風景というものは本当に変わっていないです。嬉しい気持ちでした。

家に着きますと、母の妹家族と祖父が出迎えてくれました。祖父は最後に会ったのは4年前の夏ですが、相変わらず元気で、勿論外見は年取りましたが、普通に冬道を運転したり早朝に起床して朝ご飯を作り、昼間からお酒をちびちび飲んでいるという、毎日をとてもエンジョイしているようなハッピーな祖父です。尊敬します。昭和5年生まれで、もう90近いです。

着いたのはちょうどお昼どきでしたのでそうめんを食べました。これはもうなんか定番になっています。函館に着いた日のお昼ご飯は祖父のそうめん。スペシャルでして、つゆが鰹節から取った特製で、これが誰にも出せない味なのです。甘いのですが、ただ甘いだけではなく、深い甘みなのです。おふくろの味ならぬ、祖父の味です。久しぶりに食べるのが醍醐味です。そこにネギ、ワサビ、のりをトッピングします。

食べたらもうすぐに眠くなってしまいました。それもそのはず朝5時半に起きて、お腹いっぱいそうめんを食べて、そりゃ眠くなります。そうめんを食べたその居間で昼寝したのを覚えています。気持ち良かったです。

それから1週間の函館生活が始まります。長くなりましたのでこの辺でストップしようと思います。またこの函館での思い出のハイライトを次回以降に綴りたいと思います。



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