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無音が、しんどい|適応障害休職記

こんにちは、ひなです。
12月になりましたね。

今日は、YouTubeを見ないDayをしています。
めちゃくちゃ心がざわついて、寂しくて、しんどいので、今のこの感情をnoteに書き出してみることにします。

唐突に始まったYoutubeデトックスDay

今、お世話になっている家ではwifiが使えない。
そして、昨日までは通信制限がかかっていた。

通信制限は不便と言えば不便で。
1つ1つの読込動作は遅いし、使えないアプリもある。

とはいえ、通信制限がかかっていても動画を見ることができていたので、
「既に通信制限になってしまっていたからこそ」動画を見放題だった。

ところが今日、12月となり通信制限が解除。
そして明日からは自分の家に戻って、wifiが使える予定。

ということで、今日のところは通信量を抑えて今月は通信制限なしで乗り切ろう。
ではYouTubeも見ないようにしよう、ということに至った。

音のない部屋

しかし、YouTubeをつけないとなると、音がない。
人の話し声がない。

別に、もともと集中するのに音楽を聞かない派だったし、気にならないと思っていたけど。
思っていた以上に気になった。

今日は電話もLINEもする相手がいない。
Xを眺めては、もう見飽きたしなと思って閉じて、何しようか...と考えてXをまた開く。
そんな不毛な行為を繰り返した。

暇でも、本を読む元気はなくて。
もともと書こうと思ったテーマの記事も書く気が起きなくて。

誰の話し声もない世界に寂しい気持ちが浮き上がると、自分の心に意識が向いた。
とりあえず今感じたことを書き出してみるかとnoteを書き始める。
この記事を書きながら、TVの存在を思い出して電源をつけた。

TVを見続けてしまって記事が進まなかったので、消した。

このざわめきは、不快なのに。

Youtubeを見たり、TVを見たり、Xを見たり。
誰かと電話したりLINEをしたり。

その行為は、なにかを塗りつぶしているような感覚がする。
逃げているような、目をそらしているような。
浅いところで、お茶を濁していたい感覚。

そうじゃないなら、無音でいることは。
何かに向き合うことなんだろうか。
深く潜ることなんだろうか。

それはたぶん、自分に。

だから今日は、無音の中でnoteを書き始めた。
向き合ってみようと思った。深く潜ってみようと思った。

でも、どうも失敗みたいだ。
何も出てこなくて、ただ、疲れている自分を見つけただけだった。
そしてもう、無音でもかきむしるような不快感はない。

TVはつけないほうがよかったな。

綺麗な蝶が一瞬視界を横切った気がして、振り向いたら姿はなかった。
そんな気分。

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