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前になんて、進んでいなかった|適応障害復職記

どうも、ひなです。
順番的に本当は、ここには復職記の第2弾が来るはずなのですが。

元気になってきたなぁと、久しぶりのnoteを書くにあたって
過去のnoteを見返したら、メンタルが思いっきり傾いた。

そんなお話を挟ませてください。


過去のことば

このアカウント誕生から、さかのぼること4年。
私は社会人1年目の時、別のアカウントでnoteを書いていた。

今、当時を思い返すと
「大変なことも多かったけど、当時があって今がある」って
感謝の気持ちが大きくて。
「仕事は大変だったけど、でも楽しかった」って思ってて。

あの日々に何を思って生きていたかを、
すっかり忘れてしまっていた。

すごく無防備に当時の記事を読んでしまって、
思いっきり、あてられてしまった。

私はここにいていい人間なんだろうか。

自分を含めて同期は5人。そのうちで私が一番成長が遅く、成果を出せていなかった。それはきっと単純な話で、一番"努力"を積み重ねられていないからなのだろうとは思うけれど。

「与えてもらえた経験に見合った成長ができてない。成果も出せない。そのための努力もできてない。そんな私は、この会社にいていいんだろうか」

そんな恐怖を払拭するように、がむしゃらに働いた。
日付を超えるくらいまでオフィスにいることもままあった。

そんな生活の中で、+αの努力をしている気力もなく、地道に積み重ねている同僚との差が開いていくのを感じつつ、それでも手放すのが怖くて、ただ必死に働いた。

生きるために生きる。そんな日々

毎日夜遅くまで働き、土日も働く。

最初こそ楽しかった仕事が楽しくなくなってしまってからは、そんな生活に楽しみなんてあるはずがなかった。

「このくらいもできないんじゃ使えないんだけど」

上司が本当にそんなことを言うと思っているわけじゃない。
けれど、そんな言葉たちが脳内再生されて、自分を追い立てた。

この人たちに失望されたくないから。輪の中にいたいから。

常態化していく体調不良も見て見ぬ振りして突っ走った先で、気づいたら人生は空っぽだった。

旧友に会う盆正月。

「ひなは何を楽しみに生きているの?」

この質問が、一番怖かった。
人生が楽しくないのを指摘されているようで。
そして、楽しくないと人生を生きていちゃいけないような気がして。

泣いた、ただ虚しくて

「ひなって、僕がいない間どうやって生きてたのかな」

彼のその問いにしばらく押し黙って、
「楽しくなくても、死にたくても、人生生きていけるんだよ」
そう返した。

かつて笑顔で嘯いたこの言葉、今日は涙を堪えられなかった。

「しんどい?悲しい?」

涙をぬぐいながら、彼は私に尋ねた。

「ううん、そうじゃない」
この感情を表す言葉を探して、「多分、虚しいんだと思う」と返した。

そして彼の腕の中、ひとしきり泣いた。

「今はどう?」様々な言葉を重ねて、聞く彼に、私は
「今はマシかな」と答えることしかできなかった。

貴方が隣にいるのはとても幸せで。
貴方との未来を楽しみに、明日も生きていたいと思える。

けれど一方で、仕事は「しんどい」が強くて、
"彼以外"の幸せは依然として私の中にはない。

ただ、一つだけ言えることがある。
それは、当時を虚しいと感じられるのは、それだけ今が充実してるからだ、ということ。

「ひなはとりあえず僕のために生きてよ」
「そうしているうちにきっと自分のために生きれるようになるよ」

彼はそう言って、私をぎゅっと抱きしめてくれた。貴方とともに歩む日々の中なら、「生きているのが楽しい」と言えるようになるような気がした。

きっと、いつかは。

当時の私のnote

多忙な日々を、劣等感に駆り立てられて走り続けていた当時の記憶。
4年半越しに読んで、今日も泣いてしまった。

だってこのころから、ほとんど何も変わっていないから。

前に進んだと、思っていた

当時より、自分の感情を飼い馴らすのは上手くなった。

あの頃ほど頻繁に、あるいは深く、希死念慮に落ちることはもうない。
「心の削れる音」には敏感になって、できるだけ避けるようにもなったし。
あー、今日は調子悪いなーってときの対処法も心得ている。

あの日、抱き締めてくれた彼とは
結局お別れすることになってしまったけれど。
今は今で寄り添ってくれる彼がいて、幸せで。

でも、結局。

自分には仕事と恋人以外、
充実感を得る術がないということは
変わっていない。

それに。

仕事は楽しいよ。
でも、別に明日死んでもかまわない。
それは、生きる理由にはなるほどではない。

恋人といる時間は幸せだよ。
でも、その幸せは与えられるもので、
しがみついていいものではない。

だから。

「ひなは何を楽しみに生きているの?」

その言葉に、返せる言葉を今も持ち合わせていない。

薄氷

「楽しくなくても、死にたくても、人生生きていけるんだよ」

この言葉を、笑顔で言えていた頃の方が、
痛みは少なく生きていられたんだろうとすら思う。

そう。期待しなければ、ラクに生きられる。
そんなことは、とっくの昔に知っている。

それでも、わざわざ氷の下、
本当の水面を覗きながら日々を重ねたのは
前に進みたかったからだったのに。

凪いだ湖面は結局、薄氷に映った幻影でしかなくて。
氷の下は、大時化のまま。

不用意に歩けば、カンタンに踏み抜いて
結局は濁流にのみこまれるだけだった。

人生を心から、楽しいと言える日は来るんだろうか。

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