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誰かに伝えたいことの原動力

気づけば
noteには書きかけの記事ばかりが溜まっている。

書きたいことがないわけではなく
むしろ、ああ、こういうことを知って欲しい
誰かに伝えたいと思うことってたくさんある。

でも問題は、私の場合、誰かに伝えたいことって
大抵、その発端の感情が「怒り」や「憤り」や「疑問」であることが多い。

だから
ずらりと並んだ書きかけの記事が
どこかとんがって、殺伐とした感じになってしまう。

これを順当に全部上げて行くと
何だか私っていつも怒ってる人みたいじゃん?

うん、確かにいつも「何でこうナンダロウ?」と
半ば怒りつつ憤りつつ疑問を頭に浮かべて
ああでもないこうでもないと考えている、ような気がする。

それでも

世の中が進化してきたのは、世の中の矛盾や不条理に
怒りや憤りを感じた人々が、その矛盾や不条理を
どうにか解決しようと努力してきたから。

だから、怒るのは正しい。


ところで
「怒りの感覚」が近いって大事なことだ。


好きな異性のタイプを挙げる時に
「笑いの感覚が合う人」
と答える人が多いけれど

実際には、「笑い」の感覚が合わなくても
決定的に不仲になることはあまりないけれど
「怒り」の感覚が合わないと
喧嘩した時に、理解不可能になる。


自分が怒っている理由を、どれほど丁寧に説明しても
共有できない現実って
もはやホラー映画並みの恐怖か、悪夢だ。


10代のころからの友人が、ある時こんなことを言った。

「私の友達って、いろんな人がいるけど
ひとつだけ共通点がある。

それはね
道に平気でゴミを捨てるような人はいないってこと」


彼女は
ゴミ箱がなかったら、ゴミをポケットに入れて
家まで持って帰るんだそうだ。

だから洗濯のときに服のポケットを探ると
ゴミがゴロゴロ出てくるそうで。

そういわれた私のポケットにも
ゴミが入ってて、笑ってしまった。


確かに、この夏話題になったタピオカのゴミ問題とか
自分はあり得ないわ。

そういう感覚の違いって
言葉で伝えることは難しい。

ちなみにオットもゴミも空のペットボトルも
全部律義に持ち帰ってくる人である。

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パンケーキにバターとシロップとフルーツをたっぷり乗せて
「ふふふ、これ店で食べたら、1,000円はするよね」
とか言いながら食べるのが、至福の時間♡

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