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逃げたっていいのだ

わたしはフリーライター&イラストレーターをしている。SNSに公開しているのは大抵「記事が公開されました!」などの明るい報告ばかりだ。

だけど、人にわざわざ言わないけれど、明るいできごとの数倍、暗いできごとだってある。どんなにうれしいことがあっても、それに比べれば取るに足らないような些細なできごとで、心は簡単に傷つく。

自分は特別傷つきやすい人間だとは思っていない。おそらく、人前で意見を述べて反論されても筆を折らない程度にはメンタルは強い。そんなわたしでも、もうSNSなんてやめたいと思うことはある。

一年ほど前だろうか、ネットの友人にやはりネット上のトラブルについて相談されたことがある。彼女は自分のことを悪く言いふらされているというのだが、わたしから見るとそれは誤解のように見えた。その「悪口」は、彼女のことではないのは明らかだった。

ただ、悪口を書いているブロガーたちは、あまりタチのよい人たちには見えず、距離を置いた方がいいと助言した。

匿名で特別なテーマもなく書いているブログなら、HNを変えて再度出直せばいい。ネットの人間関係は、嫌になったらいつでも切れるのが良いところなのだ。

とはいえ、わたしのようにペンネームとはいえ個人が特定できる名前で、顔も出してやっているとそう簡単にはいかない。そうやって切れるのはうらやましいな、と思った。

でも意外にも、彼女はHNを変えなかった。愛着もあるのだろうけれど、どこかで今までの人間関係に縛られてもいるのかもしれない、と感じた。

なぜ縛られているんだろう?いつだって辞められるのに。

そう考えて、いや待てよ、と思った。

縛られているのはわたしも同じ。いつだって辞められるのは、誰だって同じなのだ。

目の前のことに囚われていると忘れてしまいがちだけれど、しんどいことからは逃げたっていいのだ。無理して心が壊れてまで、やらなくてはいけないことなんて、世の中にはないと思う。

たとえばSNSはフォロワー欲しい病にかかると本当にしんどい。フォロワーなんて、気にしなければいつの間にか増えているのに、気にすると全然増えないもの、なんだよね(経験談)。

そんなときは、辞めなくていいから、ちょっとだけ逃げてみるとよい。

一週間、いや一日まったくSNSに触れないだけで、世の中の見え方が変わる。自分がどれほど狭い世界のことに囚われていたかがわかる。

SNSに限った話ではない。仕事だってそうだ。

もちろん、ただ面倒になって放り出すのはダメだけれど、頑張っても頑張ってもしんどい場合は、逃げ出すことを考えよう。

ちょっとくらい逃げても、絶対大丈夫だから。



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