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誰にでもあるたったひとつの才能

よく「神様が降りてくる」という言い方をするけれど、実際に経験したことがある人は、どれくらいいるだろうか。

同じように何かを産む出す作業でも、絵や写真と作曲やフィクションの小説などとでは決定的な違いがあると感じる。
それが、この「神様が降りてくる」ということなのだろう。

作曲や小説を書くってことは、まさにこの「神様が降りて」こないとできないのではないか。
だからこそ、生みの苦しみも半端なさそうだし、ついつい何かに依存してしまう人が多いことも理解できるような気がする。(良い悪いの是非は別として)

神様が降りてくるとき


それに比べると絵や写真って、ひたすら描き続け、撮り続ければ、一応形にはなる。神様が降りてこなくても、自分の実力なりの物はできる。

絵や写真を生み出すときにも、「神様が降りてくる」ことはある、と思う。
ただ、作曲や小説のそれとはタイミングが違うし、常に降りてくるというものでもないのだ。
どちらかといえば、絵や写真で神が降りた時には、傑作が生まれるというような感覚が近いだろう。

たとえば、先日も関ジャムで竹内まりやさんが、「シャワーを浴びて髪を洗ってると曲が降りてくる」と言うコメントを寄せておられた。
小説の「タネ」や曲やの「フレーズ」は、この「シャワー」のように、全然関係ないことをしている時ほど出てくるという人が多いようだ。

それに対して絵や写真の場合、実際に絵を描いているときや、写真を撮っているその瞬間に、サーーーっと神様が降りてきて、今までの自分ではあり得なかったようなものを描かせてくれたり、撮らせてくれたりするものなんじゃないかって思う。

どちらにしても、作り続けることでしか、神様を呼び寄せることはできないのだ。


誰にでもあるたったひとつの才能


私は最近、15年前からずっと温めていた企画がようやく通って、原稿に取り掛かっている。15年前というのは自分がイラストの仕事を始めた頃。そう考えると結構長い。

15年間続けてこられたからと言って私には特別な才能などなく、絵がいいといわれたのと同じ数だけ全然だめだといわれたこともある。

たったひとつだけ、自分に取り柄があるとしたら「絶対にあきらめない」ということ。


本当にそれしか、ない。
そしてこれは、誰にでもある才能なのではないか。

あきらめなければ、15年経っても、20年経っても夢をかなえることはできるかもしれないのだ。
そう考えたら、1度や2度の失敗で簡単にあきらめるなんて本当にもったいないって思う。

あきらめないというのは、このままいけばうまく行きそうだったり、期待できそうだから頑張るということではない。
何度絶望的になっても、もう無理だと思っても、褒められなくても、認められなくても、それでも続けること

最後に勝つのはそういう人なんだと思う。
だから私はあきらめない。

それが神様を呼び寄せるたった一つの方法だから。


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今日のイラストは、秋に東京駅で買った富山の駅弁。
ぶりかまが最高に美味しいっ。絶対にまた買う!!

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