与えたいものは欲しいもの|心に浮かびゆくよしなしごと
どうも、緋那です。
自分至上主義ー自分が幸せであれば、自分が成長するんであればなんでもいいぜ✨ーというタイプもいれば、人を幸せにしてなんぼ、なんてタイプの人もいるのがこの世の中…
私は後者で、誰かを幸せにして生きたい、特に私にとって大切な人を幸せにして生きたい。そんな人。
で、そんな私は
「誠実・真摯でありたい」
「悩み苦しんでいる人に寄り添いたい」
「ありったけの愛を注ぎたい」
と、他人に対して、どうありたいという”理想の姿”が多い。
だけど、最近、それって、自分が欲しいものなんじゃない?とふと思った。
自分に真摯じゃない、とは
これに気づいたのは、職場の先輩の言葉がきっかけだった。
「真摯でいたいって思うのって、自分に真摯じゃないからなんだって。
自分に対して真摯でいられないから、せめて他人には真摯でいようとするんだって」
その時は、意味がわからなかった。
真摯で、誠実であること。
裏表がなくて、言行一致で、一貫性のある人間であることが、価値だと思っていた私。
「自分に対して真摯じゃない」という状態が、理解できなかった。
先輩は続けた。
「真摯っていうのは、思ってることと、言ってることと、やってることが同じ状態。自分の思いを殺して生きるのは、真摯じゃないよ」
みたいなこと。
そのときは、自分が生きたいように生きてるつもりだけどな…と思っていたけれど、最近になってようやくその言葉の意味が腑に落ちてきた。
土日・祝日。
お布団の中にいたいと思う自分を奮い立たせて、仕事する。
「お願いがあるんだけど…」
私自身の仕事詰んでるんだけどな…と思いながら、人の仕事も受ける。
あぁ、人生ってつらい…
そんな不意にこぼれそうになる涙を、押しとどめる。
心に素直に生きている瞬間なんてほとんどなくて、
ずっとずっと、心の声から耳を塞いでいた自分がいた。
そうか、私は自分に真摯じゃなかったのか。
そして私の心は、ずっと声を聞いて欲しがっていたのか。
「真摯でいたい」
それは、私の心のSOSだったわけだ。
寄り添って欲しい。でも、それを言えない
学生時分から、友人の相談に乗るのが好きだった。
こんなことがあって、こんなに苦しくて、こんなに辛くて…
女性は相談に共感を求めて、男性は解決策を求める、なんていうけれど
だいたい相談に乗ったら解決策を模索しながら共感を示して、
解決策を思いついたら提案する、みたいな相談の乗り方をしていた。
共感して、私はあなたの味方だからね、と伝えるだけで
相談してくれた人の心は軽くなるみたいだし、
場合によっては提案した解決策でもっと楽になることもあって、
「人の人生を変えている」喜びがあった。(責任もあるのだろうけれど)
それからずっと
「あなたに出会えてよかった」と言われる人間でありたい。
そう思っているのだけれど、
人生ツラい…が悪化してきている最近、
それを相談できると思える人がいない自分に気づいた。
相談に乗ってくれて、寄り添ってくれて、
味方になってくれて、ひょっとしたら解決策をくれて、
人生を素敵にしてくれる。
そんな人になりたい私は、そんな人を求めているんだ。
愛が欲しい、切実に
友達は決して多くないけれど、友達と認定した人はありったけの愛を捧げる。全身で愛を伝えるし、誕生日を全力で祝ったりもする。
毎年、年賀状を手書きで書くのも、愛情表現の一種のつもりだ。
したくても望まないことはしない、とか、
しても喜ばれなかったことは、それはそれとして受け入れるとか、
私がしたい(してあげたいと思う)ことと、
友達が望むことが違う可能性があることもわきまえているつもりだし、
それが愛だと思っている。
さて、そんな自称:愛が深い人間の私が、
最近必要に駆られて、「人生で最低な出来事」を5つ書いてみた。
多かったのは、家族から愛や関心を期待したのに向けられなかったことと、
自分の心の虚無に気づいたこと。
家族に愛されたかったけど、愛されなかった自分。
ちゃんと家族を愛したいのに、愛せていない自分。
そして、愛し愛される幸せな未来像が音を立てて崩れたとき。
それが、私にとって「最低な出来事」だった。
(そもそも学生時分は優等生で、社会人としてはまだ1年目。
いわゆる挫折が少ないというのもあるのだけれど)
家族から愛されて育った実感が弱かった。
というか、愛されなかったという経験の記憶が色濃く残っていたのだ。
家族に対して与えることもできなかった愛を、
友人に、ときに恋人に与えることで、自分を満たそうとしていて、
そして本当は、家族から与えられなかった愛を求め彷徨っているのだろう。
だからなんだということ
自分の望む姿、自分が他人に与えたいというものは、
もしかしたら自分が望んでいるものなんじゃないかな、
ということに気づいた今日この頃。
別に何も欲しいものはないし、したいこともない…
そんな思いでいた私にとって、
これを望んでいたのか、と気づいたことは結構な発見だった。
もしこれを読んでいるあなたが、
「他人を幸せにしてなんぼ」というタイプで、
あまり自分が望むものってわからないんだよな、という人なら…
「他人にこれを与えたい」という思いを深掘りしてみると、
あなた自身の願いが見つかるかもしれません。
(見つからないかもしれませんが)
ということで、長文にお付き合いいただきありがとうございました。
少しでもあなたのお役に立てていれば幸いです。
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