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"大切なコト"と"大切なモノ"#01

 時折、時の人みたいな存在が世間を騒がせる
大谷翔平選手であったり、藤井聡太八冠であったり
最近その熱もだいぶ落ち着いたなぁ
とふと思ったわけだが、ワイドショーのスキャンダルネタみたいなものに私は昔から興味が薄い

友人間の芸能人やアイドルの話題にはついていけなかった記憶がある
というか、この歳になっても現在進行形であるw

だから雑談てものには弱いという自覚意識がある
『雑談力』みたいな本もあるし、人間関係というものが社会生活の中で
切っても切り離せない以上、絶対必要とまでは言わないが、あった方がやっぱり便利だとは思うのだが…

はてさて、
「大切なコト」「大切なモノ」と題して
今日はアラフォー世代一員としての
『アタマガラガラポン』
をしたいと思う

この年齢になって
『自分の人生』あるいは『自分とは』と
思考を巡らすことが多くなってきている

30代前半までは自分探しというか
自分自身が『自分』を一番わかっているつもりで
実はあまりわかっていなかったんだなぁと感じる

30過ぎで結婚をし有難いことに
子供もすぐ授かることができたことは
半ば強制的に、自分以外の人様に対してそれまで以上に『気遣いや配慮』をする環境が生まれたワケだ

根っからの自己中

である自分には、これが本当に人生における大切な転機となったと今では感じている

家族の大好き

 「大切なコト」
自分にとってそれは"家族"である
家族は自分にとって"モノ"でなく
"コト"と捉えている

それは"存在"というか"関係"とでもいうか…
言語化するとなると難しいものであるが
私には家族=モノという概念はしっくりこないのだ

生涯独身で構わないとすら思っていた若かりし頃からは、想像もできないくらい家族が
今も
そしてこれからも
無くてはならないコトであるようなのだ

そう考えると、結局のところ
一番に「大切なコト」というのは
家族よりも『自分の幸福』なんだろうと
近年になって少し思うようになった
人生=幸福の探求?

父のエゴと娘の入口

そして「大切なコト」と「大切なモノ」
は自分の中で密接に関わっている

確か25歳頃から本格的に始めた趣味の
『写真』『カメラ』
は正にその典型とも言える

いろいろとかじっては辞め、かじっては辞め
を繰り返してきた趣味と呼んでいたもので
結構長く続いているモノはこれくらいだったりする

腕前が歴に比例しているとはお世辞にも言えないが…

私の機材を少し紹介すると
メイン機:EOS 6D、EOS 70D
サブ機:EOS 30D
canonレンズ:50mm F1.8、40mm F2.8、17-40mm F4
SIGMAレンズ:20mm F1.8 DG、17-40mm F2.8-4 DC macro 、24-105mm F4 DG art、70-300mm F4-5.6 DG

社会人になってからコツコツと買い揃えていった機材が今の環境となっている
最大ポイントは、ほとんどが
"結婚前に買い揃えたモノ"
であり、結婚してから購入した(父の日のプレゼント)のは
EF 50mm F1.8の一本だけである点だ

『環境』と『資金』という制約と関係性は正直大きい
そうした意味では、カメラ=金がかかる
みたいなイメージというか事実そうであると思うが
幸いにも私は、資金という制約が比較的弱い独身期に最低限の機材環境を構築でき
「何が撮りたいか」がある程度明確であった故に
資金の浪費となる『レンズ沼』にズブズブとハマり込むようなことはなかった

私が一眼レフカメラを手にするに至った一番の動機は
高校生の時から宇宙への興味、星空が好きだったこと
社会人となってから温泉と旅行が好きだったことから
旅行先での風景写真、星景写真を撮りたい
というものだった

「欲」を吐き出してしまえば、キャノンユーザーとしてLレンズに勿論興味はあるし、娘を撮るようになってからは連続撮影枚数、AF性能がより高い5DmkⅣとか可能なら手に入れたい
SONYのミラーレス一眼にだって実際興味はある
(キャノンユーザーだが。何故かRシステムには興味があまり湧かないという不思議)

最新機材から見れば、手持ち機材は10年以上前に発売されたようなモノばかりで
古めかしいモノであることは確かである

でも今の機材環境で不満かと言われれば
さして『不満』は正直ない

これが不思議でもあり
カメラ・写真が好きである所以なのかもしれない

カメラはあくまで私にとって
『目的に対する手段』であり

私の写真を撮る目的は『記録』
という要素が最も高い

勿論、『作品』的な要素が目的にないか
と言われれば、決してないとは言えない

が、そこを突き詰めてしまうと資金がいくらあっても足りないし
そもそも「モノ」や『欲』に執着しすぎると
人生そのものがおかしなことになってしまうと思ている

「大切なコト」に『目的を常に明確にする』ことと
『自分の人生の向かうべきゴールと繋がっているか』
ということを、知性を発揮して考え判断することができるかは大切なことなのだと
アラフォーとなって今更気づいた次第である

ここ数年の悩みは
当初の目的に加えて『家族時間の記録』
が増えたこと
と、その対象となる被写体『娘』が
ジッととしていてくれないということで
自分の技術不足が露呈したこと
基本、静体物ばかり撮ってきたツケとでもいうか…

「機材のせいにしちゃいけない…機材のせいにしちゃいけない…」

豊な時代を生きるというのも相応の大変さがあるのだな






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