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子育てのこと

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私の子育てを振り返る
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30代、40代は子育てで終わった

30代、40代は子育てで終わった

仕事、育児、家事。30代はその一言に尽きる。毎日慌ただしく、戦争のようなものだった。ひとりで寝たい、何もしない日が欲しい、たまには外に飲みに行きたい etc.
40代は子供達も中高生になり、毎日のお弁当作り、部活のサポート、中学受験と大学受験、父親と息子の確執の板挟みなど、子育ての大変さの質が変わった。
そして今、50代になり、子供達のための時間はほぼ無くなった。私は私のためだけに使う時間が多く

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その頃の私

その頃の私

小学校1年生の夏休み、毎日のお弁当作りを乗り越えて、ようやく親子共々小学校の生活にも慣れてきた。息子は初めての習い事として、近所のスイミングスクールに週2回通うようになった。同じクラスの男の子と、学童が終わってからそのまま向かい、帰りも2人で帰ってくる。下の娘の世話もあるし、息子がこうしてひとりで行動してくれるようになり、本当に楽になったなと思った。まぁいろんな失敗もやらかしてくれたが、男の子だし

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息子にとっての小1の壁

息子にとっての小1の壁

息子は公立小学校1年生になった。小規模な学校だったし、同じ保育園から通う子も多かったし、何より幼なじみの子と同じクラスになれたのが嬉しかったらしく、毎日仲良く通っていた。

入学まもない頃、担任の先生との面談でこんなことを言われた。
「息子さんは時間の切り替えが上手じゃありませんね。この間も図工の絵をずっと描いていて、体育の着替えをして校庭に出てきたのは授業開始から15分も経ってからです。これは困

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ベビーシッターを雇う

保育ママでの生活を終えて、1歳からは無事公立保育園へ転園。しかし少人数保育から大規模保育になった途端感染症のオンパレード。まともに1週間出勤することがほとんどないような時期もあった。
病児保育なんてなかった時代、夫婦2人で乗り切るのにもすぐに限界がきた。あれだけ他人を入れたくないと言っていた夫も、この事態ではさすがにそうも言えなくなったようで、ベビーシッターを雇ってやりくりをするようになった。だか

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そして仕事復帰

そして仕事復帰

娘は本当に手がかからない子だった。おっぱいを飲むと満足し、気がつくと一人で寝ちゃうような子だった。娘が生まれて1か月が経った頃、以前勤務していた職場の上司から連絡があった。「身体は大変だろうけれど、週に数日、短時間で構わない。戻ってこないか」というものだった。女性管理職だった彼女が「私の裁量でどうとでもなるから」と申し出てくれたのだ。まだ出産して日が浅いし、完全母乳だったし、何よりも預け先が確保で

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退院初日から家事をする

退院初日から家事をする

2人目の娘は2月の終わりの、雪の降る寒い日に生まれた。息子の環境を変えたくなくて、里帰りをせずに出産した。破水から始まり、一人で入院し、一人で生んだ。翌朝息子は大喜びで妹を見に来た。はしゃぐ息子を見ると、2人目を生んで良かったなと思った。安産だったとはいえ、産後はかなりのダメージだから産褥シッターを頼もうと決めていたのに、ここにきて夫が「他人を家に入れるのは嫌だ」と渋った。義母の前で言われると強く

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そんなこんなで2人目

そんなこんなで2人目

同じクラスのお母さんたちとは、小学校や学童の話が出るようになってきた。上に兄弟のいるお母さんたちから、PTAのことやら登校班のことやらいろいろと聞くとブルーになるばかり。保育園にも父母会はあったが、みんな働いているので連絡ツールはメールだったし、皆それぞれの得意分野を活かして効率的に動いていたので負担に思うことはなかった。息子より早く家を出なくてはならないのも気が重かった。あの頃から「小1の壁」は

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保育園に救われたこと

保育園に救われたこと

2歳児クラスに入った息子は、とても神経質だった。何がそんなに気に入らないのか、いつも泣いてばかりいた。こだわりが強くて育てにくい子だったが、公立保育園の先生方はいとも簡単に息子を操った。泣いているときは放置しているけれど、彼のシグナルをキャッチしてうまく導いてくれた。

ある時玄関先でギャン泣きしている息子に声をかけてくれた先生が「お母さん、いつもと違う道で来ませんでしたか?子供は子供なりに毎日の

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1人目の子育て

1人目の子育て

息子はキレイな顔立ちをしていた。泣き方も弱々しく、ふにゃふにゃとしていた。なんとか母乳で育てたかった私は、暇さえあればおっぱいをあげていた。疲れてすぐに寝てしまう息子をなんとか起こして、おっぱいを飲むように促す。

病院から退院後、1ヶ月は実家の母にお世話になった。が、そこまで母と仲良しでもない私は、検診前に自分の家に帰ってきた。そしてそこからが戦いの日々だった。今までは母が手伝ってくれていたが、

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