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物語制作の序盤のカオスを乗り切る


制作が動き出す

第二の月|前半

 創作第二の月。この期間の創作ノートにも、相変わらず日付を振っていない。たまに殴り書きで記してある。今の私は決してぞんざいに日付を扱ったりしない。

 第二の月からは明らかにノートが増える。この月だけで80枚綴りのコクヨキャンパスノートをほぼ使い切っている。このほかにも設定資料を書いたりプリントアウトしたものがある。

 第二の月、前半の作業を振り返りたい。主に考えていたことを三つに整理するなら、以下のようになる。

  1. 登場人物の造形。特に主人公

  2. これから作り出していく世界への期待

  3. ストーリー設計の修練。ビートシートの着手

 これら三つのことを順番に行ったのではなく、ごちゃごちゃに思いつくままに、少しずつ洗い出していった。ここでは説明の都合上、それぞれに分けて話したい。

登場人物、主に主人公の造形

 主要な登場人物が2〜3人形作られた。彼らの背景となる人々の設定も同時に立ち上がっていった。最終的には敵対者の概要までを考え始めている。

 主人公は初期では仮名だった。確か兄弟の兄の方だったので、アニと呼んでいた。これは設定を固めていく中でふさわしいと思われる名前がつき、完成品まで採用された。

 創作者に主流と思われる手法で、荒木飛呂彦によるその名も『荒木飛呂彦の漫画術』でも紹介されているキャラクター設計方法に、キャラクターの履歴書的なフォーマットを埋める、というものがある。かくいう私も、過去に制作した漫画作品で、荒木飛呂彦流のキャラクター設定シートを作ってみたことがある。

 私にそれは早すぎたのか、向いてなかったのかはわからないが、あまり役に立たなかった。今回の制作においては初めからテンプレ作業は無視することにした。「こうすれば書ける」を「こうしなければ成立しない」と受け取るのは避けようと思ったのである。

 それよりも「主人公とはストーリー上においてどのような役割があるのか」「他の登場人物に持たされた役割は何か」を学び、それに基づいて「キャラクター同士の関係」を重視して作り込んでいった。そうすることで主人公よりも脇役が魅力的で物語の締まりが悪くなるだとか、悪役の方が立体的に見えてしまうという、失敗を避けることができた。

 つまりは、はじめからがちがちに主人公の属性や性格を盛り込まなかった。物語を動かしていく中で、「あなたってそういう人だったのね」と発見していくことが最後まで続いた。最後まで登場人物たちの謎は多かったが物語は核を失わずに進めることができた。

 とはいえ創作の初期段階では、後から考えたらどうでもいい部分の設定を作り込みがちだ。思いつく限りの頭にふと浮かんだこと、キャラクター同士が勝手に始めるダイアローグなどは、最終的にごみになる可能性は大きくてもできるだけ書き残したほうがいい。

 考えたいことは際限なく考え、書いてみるといい。ここでは「書いてみる」というのがとても重要だ。頭の中ではわかってる、解決してるつもりでも、書いてみるまでは自分が理解しているか、本人にもわからない。これもロバート・マッキーからの教えである。

 主人公の設定がそんなんなので、脇を固める人々もふんわりしている。後から性別を変えたり、性格を微調整するのは当然のこと、この時は端役だった人をヒロインに大抜擢したりも後々起こってくる。

 第二の月前半の終わり頃までには、主人公が何と敵対関係にあるのかまではイメージし始めていたようだ。敵の牙城や敵対者の欲求、敵対者と接触した時にあって欲しいシーンなどのアイデアも出ていて、最後まで残したシーンもあるにはある。

 総合すると、初めに立ち上がり始めた世界の中で、ぎこちなく人形遊びを始めたのが、キャラクターに関して、この期間にしたことだった。

まだ見ぬ世界への期待が高まる

 だんだんと私がこの物語世界についてもっと知りたい欲求が高まってくる。

 初期の段階では、物語の世界で「何があって欲しいか」を考えていた。

「こんな現象があったらカッコいいだろう」というような、いいも悪いも理想的な現実を捻り出し続けた。それらは最終的には原型を止めないか、影か形かを残しはするが、あまり重要な項目ではなかった。自分の中の中2願望をデトックスして「どんど焼き」に出す、儀式的意味合いが強かったのではないだろうか。

 稚拙だとは百も承知で書き出しておく事の重要性を、再度強調したい。これらのキーワードをもとに、図書館で調べ物をしたり、Google先生やChatGPT先生に教えを乞う作業が続いていくからだ。

 ちょっとしたダイイングメッセージに、「過去の自分ありがとう」と言いたくなる局面が必ず来る。

ストーリー設計の修練。ビートシートの着手

 「一つのことを理解してから、次の段階に進みましょうね」と言われることもあるが、私はちょっと小耳に挟んだことを、とりあえず試してみずにはいられない。

 ロバート・マッキーの『ストーリー』を読んでいても、こうすれば必ずストーリーが組み上がるという、手取り足取りなマニュアルはないにしても、「ビートシート」の扱いにはわりと細かく言及がある。知ったからには早速試してみたが、こいつがどうして具合がいい。

 「ビート」とは「アクション/リアクション」の組み合わせ、と定義されている。ビートが組み合わさることで「シーン」が形作られる。「シーン」が組み合わさると「幕」となり、「幕」が「ストーリー」を構成する。

 ビートはつまり、ストーリーの最小単位だと言える。この最小単位を知っていることで、「このシーンが書きにくい」となったときもビートに切り出して検証することができるし、「今はこのビートだけ考えてみよう」と最初期の段階でも実験的にシーンを組み立ててみることができ、シーンの前後を組み替えることも簡単で、物語に不足している事項や構造的に弱い部分を早くから把握することができる。

 上記のような使い方をするため、ビートシートとはノートではなくて、ハガキの半分くらいのカード状の紙に書いていくことになる。各シーンに起こることを表に書き、裏にはそのシーンのストーリーの中での役割を書く。

 一本の映画脚本は、40〜60のシーンで構成され、1シーンは10〜20のビートで構成されるらしいので、脚本一本につき、およそ400〜1200のビートがあることになる。つまり最低でもビートシートは400枚用意されることになる。ボツが生まれることを考えたら、数千枚のビートシートが書かれることもあるかもしれない。

 マッキー氏によると、このカードの束を仕上げるのに、脚本製作の実に2/3を費やすべきとのことだ。6ヶ月ならば4ヶ月、1年ならば8ヶ月ということになる。それくらい一つのシーンの中での構成には気を使うものらしい。らしいと言うのは、小説は人間の内面世界の描写も書き込まれるので、脚本ほど削ぎ落とし、視覚化した情報のみを書く必要があるかは検討の余地がある。

 しかし、物語を完成させ、多少なりとも面白くしたいと願うならば、たるんだシーンを引き締め、気の進まない場面を書き切る必要が必ず発生する。そういったときのための方法論を知っておくことは無駄ではないはずだ。

 当然、この2/3の期間の中は、机に齧り付いているばかりでなく、資料漁りや世界観の設定などの諸作業も傍で発生している。

カオスとの格闘

 第二の月前半は、構想でしかなかった不定形な液体物を、物語という一つのソリッドな世界に成立させていくために動き出した段階と言える。

 他の大きな動きとしては、物語の世界地図を作っていた痕跡が残っている。地図制作にしても、初期段階は細かく縮尺を計算したりもしていたが、「ここだけは動かせない」ところが後々固まってきて、それ以外は物語上ぼかして書いたところも多くなっていく。

 この物語でつまり何を言いたいのかを強調するために、濃淡をつけるよう気をつけたのは、私のバックグラウンドとして絵を描く勉強をしてきたことによる。学生時代に建築を教わったことも役に立った。経験において何一つ無駄だったものはない。



 何者でもないアラフォー女性が、35万文字の物語を完成させるためにやった全努力をマガジンにまとめています。少しでも面白いと思っていただけたら、スキ&フォローを頂けますと嬉しいです。


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