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「新しいから面白い」は慣れたら見向きもされなくなる。

4/15に、私が主宰する劇団Яealityはリニューアルしました。

劇団としては致命的な、稽古もワークショップも公演もできないという逆境の中でのリリースでした。


4つの企画の中に「Parallel Яeal Project」というものがあります。
脚本家が趣味で書き溜めた台本を、楽曲とアニメにしてYoutubeに出すというものです。
(Frekulというサイトを経由してiTunesやSpotifyにも楽曲しています)

自分たちでも強みを活かした、うまくいけば面白い企画になると思うのですが、もしかして応援してくれているのは自分達の作品の面白さではないのではないか、という話題が出ました。

面白いものが出ないと忘れ去られる

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劇団員の奏汰莉子はこう言っています。
有る程度期待されているもの=ニーズになって、それを発見できればやり方がわかってくる気がするんだけど、
その期待されているニーズ「若者の成長」とかがあって、それに気づかず甘えてしまったら、ずっと自立できない気がする。
新しいことをしてるからおもしろい、は
新しくないと思われた瞬間に価値が消える。」

確かに、Яealityは20代前半しかいないので「成長」「頑張り」という部分に期待されているのかもなと思います。
「若い人が頑張っているから応援しよう」に甘えていたら、若くなくなった時に廃れる。消えてしまう。

今回の4つのプロジェクトは、本公演・社会人劇団・学生劇団・Youtube活動の4軸なのですが
それも「なんか新しいことやってんじゃん」って最初は見てもらえても
面白いものが出ないとやっぱり忘れ去られる

今、求められているのは「刺激」だと思うんです。
というかそれが顕著になった。

家にいる時間が長いこそ、ちょっとメイクするだけでも刺激的で
今まで苦手だった動画も見るようになって
インスタライブ見ちゃったりして
友達とオンライン飲み会して刺激をもらって。

それが「ちょっと面白そうじゃん」って注目されても
満足いく刺激が与えられなかったらすぐ離れていってしまう。

これ、演劇が今一番直面している問題だと思うんです。

演劇的刺激を与えられない

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演劇の面白さってなんだと思いますか?
これは全員異なっても良いと思っているのですが
物語性・臨場感・一体感・目撃している感じ・推しが目の前にいる……
多分演劇が好きな人って、こういう要素のうちいくつかを掛け合わせて観ていると思うんです。

そしておそらく多くの人が感じているのが
「目の前で起こっている出来事を観ている」のが面白いということ。
仮説なんですが、他の娯楽と違うのってここなんです。
映画館で映画を見れば、実際に爆発したりアクションがあったり、映像的な臨場感は叶わない。
物語が好きならテレビドラマでもいい。

目の前で何かが起こっている、目の前で推しが動いている、そして目の前で反応している人間がいる。
これが舞台の醍醐味なんじゃないかなって。

(人によって異なります。こうなんじゃないかな?ってだけ)

そんな演劇の「目の前」が今はできない。
役者さんたちは生配信したり朗読したり一生懸命発信しています。
それは大切なことだし応援したいし良いことです。
けれど「演劇的刺激」はきっと与えられない
なぜかというと目の前にあるのは画面で人間ではないから。

今は暇だし日常と違う時間の中だから、新しさもあって活気があると思います。
けれど、コロナで時代が10年早く来たみたいなことが言われる中で
「新しさ」がなくなった時に「目の前」ではない環境で発信できなければ廃れるのではないか、と思ってしまうのです。

演劇のライバルは時間だと思う

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Wi-Fi環境が整った家で
ベッドの上でprimeビデオ。
ソファに座ったらインスタ。
仕事の片手間にTwitter。
寝る前にはNetflixを観て
ポッドキャストを聴きながら寝る。

家でできることが余りにも多いのです。
そしてそのクオリティがめちゃくちゃ高い。

何も準備せず、タブレットとかをひょいと弄ればそこは楽しい娯楽空間。

けれど、本来の形ならば演劇は劇場まで行って決まった開演時刻から決められた座席に座って観るものです。
1分かからず観れる映画とは手間の数が段違い
そんな環境の中の人々に
「演劇は面白いから!!!来て!!!」
と言っても響かないでしょう。だって家で楽しいもん

じゃあどうすればいいんだろう。
私なりに考えた結論は
「物語体験に価値を置く」です。

物語が好きにならないと成長はない

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「目の前で起こっている出来事を観ている」のが面白いのが演劇と仮定するならば、目の前で起こってないことは演劇ではないのか。
そうではないと思います。

今まで舞台の上の人だったのが素顔で生配信。
ちょっとおもしろトークしてみたり。
きっとそれがきっかけでその人を好きになることがあるでしょう。

でも、役者たちがやりたいのは本当にそれなの……?と思ってしまうのです。
今現状できることがないのは重々承知だし、実際そういう活動している人は尊敬しています。あんなにおしゃべりできるなんてすごいよほんと。

でも、コロナが収束したら(いつになるかわからないけど)今のおうち娯楽空間環境は変わらずに演劇が始まるんです。

今は新しくて物珍しくて楽しいかもしれない。
けれどYoutuberが似たような企画ばっかりやって生き残れるのは0.1%とかの世の中で「新しさ」がなくなると見向きもされなくなっちゃうんです。

じゃあ、おうち娯楽空間で演劇が提供できる価値ってなんなのか。
私は「世界観と物語」だと思いました。

世界観と物語は演劇に限った話ではない

世界観と物語は、映画でもドラマでも漫画でも提供できます。そしてそれらは熾烈な戦いを勝ち抜いたプロによって作られている。安易な方法じゃ見向きもされない。

劇団の世界観を打ち出してアウトプットする。
それは「演劇」という形ではないかもしれない。
映画やドラマと似たものになるのかも知れない。
けれど、演劇が好きな理由に物語性というものが入っているならば、その物語を届けることにコミットするべきなのではないか

演劇は一枚絵ではないと思います。
様々な人間の感情が揺れ動き、その物語を劇団という世界観で伝える。
その心の揺れ動きを、どう臨場感を出して伝えるのか

劇場に行くことが困難な現在では、表面的な演劇の要素じゃどうにもならないし
今良い意味で注目されなければ演劇の未来は暗いんじゃないかって思う。

批判的なことばかり書いたけど
私は演劇が大好きです。


いただいたお金は!!!全て舞台裏のためのお金にします!!!!殺人鬼もびっくり☆真っ赤っかな帳簿からの脱却を目指して……!!!