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帰省ができないということ

一年前は、11月と年末年始で群馬の実家に帰省をした。
例年は義実家での年越しだったので、夫をつれての正月の帰省は初めてのことだった。
温泉宿に泊まり、たくさん食べた。

妙義山の荒々しさを体感したのは、小学校の遠足以来かもしれない。
風景として見えてはいても、近くまで行くことはあまりなかった。

ごつごつしていてすごい山だ。かっこいい。
でも神社にお参りするのに急な階段が続くのでへこたれまくった。

実家の家族と過ごし、食べ慣れたおせちを食べてニューイヤー駅伝を見に行った。
子どもの頃、父と一緒に見に行ったっけ……というのは、群馬あるあるかもしれない。

わたしは実家家族とめちゃくちゃ仲が良いというわけではないので、離れて暮らすくらいでちょうどいいと思っている。
新幹線と在来線を乗り継いで3、4時間。気軽に行き来できない距離というのも悪くない。いま暮らしている愛知県も良いところだ。

でも、ふと、帰りたいなあと思うこともある。
帰りたいというか、群馬の好きなものがここにワープしてきたらいいのにと思ってしまう。
美味しくて安くて量のあるパスタ屋とか(これは昨日のマツコさんの番組を見て猛烈に思った)、山まで行かなくてもそのへんにたくさんある日帰り温泉とか、適度におしゃれなチェーンの雑貨屋さんとかが恋しい。近くに2店舗くらいずつはできてほしい。
あと友達全員引っ越してきてほしい。
赤城山の形とか、浅間にかぶる雪で冬の到来を知るとか、そういうこともなつかしい。

昨日の晩はぐだぐだとそんなことを考えて過ごした。
コロナ禍がいつまで続くのか、わからないけど。わからないからこその無いものねだりだ。
コロナ禍だからこそ、お金も気も使う帰省がなく、らくちんなのもまた確かな事実なのだ。
今年ももう、そんな時期だ。

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