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【超ショートショート】(39)☆good time☆~来世の約束~

田舎暮らしに購入した古民家。
自ら、リフォームするべく、
あちらこちらと採寸中、
ホコリまみれの本棚があった。

いくつかの引き戸の中の、
一番左の引き戸から、
一枚の古い白黒写真と、
一冊の本が置かれたままあった。


写真は、
男女が中むつまじく記念撮影する様子が。
本は、
単行本のように厚みはあるものの、
一見手書きのような文字・・・、
活版印刷されたような文字に凹凸があった。


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『来世の約束』田中 仁著
~~~~~

本の表紙と背にそう書かれていた。

内容は、
小説のようにも見えるが、
1ページ1ページごとに、
まるで日記のように日付が書かれていた。


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田中 仁
1910年10月10日東京生まれ
田中家の長男として生まれる。

根本 五月
1915年5月5日埼玉生まれ
根本家の三女として生まれる。
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1925年4月
友人の誘いで、
桜の花見を上野公園で、
学校の仲間や家族たちが参加して行われる。

我輩と同じクラスの
吉田の家族の妹と同じクラスだという
根本 五月に初めて出会った。
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我輩と五月との出会いは、
いつも必然的だと互いに話す。

我輩の根拠は、
初めて会ったその瞬間、
稲妻の光に打たれたように、
五月の事しか考えられなくなった事。

五月は、
初めて会った瞬間に、
懐かしさを感じたと話す。

五月が幼い頃に何度も見た夢、
その夢で出会った人が我輩にそっくりだと、
あれから何度も話していた。
~~~~~~
1935年4月8日
花祭りの日に結婚した。

五月が出会ったあの春の日が良いと
お願いされたからだ。

田中 仁25歳 根本 五月20歳
での結婚だった。

特別な反対もなく、
無事に入籍、式を挙げる事が出来た。

親戚の次の期待は、子供。
五月は若いからと、
10人産めと冗談に話す親戚もいたが、
五月には、
それが後の心的苦労をされる事になった。
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結婚から1周年
1936年

僕らは、相変わらず二人。
子供は居ないが、
五月も外で仕事をするようになり、
互いの健康を気遣う1年となった。
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結婚から2周年
1937年

五月に待望の赤ちゃんを授かる。

しかし、夏の暑い日、
立ちくらみ起こして、職場で倒れた五月。

病院に担ぎ込まれるも、
流産と医者。

その事実を知らない、
まだ寝息を立てている五月。

夜が明け始めた頃、
五月が目を覚ました。

そして、
「赤ちゃんは?」と五月。

僕は、
「・・・・・」

五月は、
「ダメだったのね?」

頷(うなず)くしかない僕を見て、
「1週間前に、
赤ちゃんが天国に行く夢を見たの」
と、五月が話した。

五月は、
予知夢のような夢を見て、
すでにその現実を受け入れているように、
その時は気丈に振る舞っていた。

赤ん坊の供養が済んだ日、
五月は、
これまで我慢した分の涙を一気に流した。

「今度こそ、仁さんの赤ちゃんを産んで、
あなたに抱いてもらいますからね」

~~~~~~
結婚から4周年

1939年、
日本もとうとう戦火の予感をする、
そんな時に、五月が妊娠。
何とか出産間際まで来ていた。

1939年7月7日
2635gの五月似の男の子が産まれた。

名前は、
七夕の日に産まれた事から、
七の瀬と書いて「七瀬(ななせ)」と名付けられた。
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結婚から5周年

1940年12月24日
五月は、2446gの女の子を出産。

名前は、
クリスマスイブという事で、
いぶではなく、
女の子だから、
着るものに困らないように、
そして
音楽が出来る子になって欲しいと、
父である僕の願いを込めて、
「衣譜(いふ)」と名付けた。
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結婚から6周年

1941年
田中 仁宛に赤紙が届く。

僕らは、
出征の別れの日までに、
出来るだけの言葉を互いに、
子供たちに残そうと、
筆を執り続けた。

そして、
出征の前日、
町の写真館で、
最後となる家族写真を撮影。

僕の軍服を見た写真館の旦那が、

「ご夫婦で撮影しましょうか?」

お金を取るのか五月が確認すると、
そっと左右に首を振る旦那。

子供たちは写真館の奥の居間で、
写真館の女将が面倒をみてくれた。

「写真は夕方には出来ますから、
明日一緒にお持ちください。」
と旦那が粋な計らいをしてくれた。
~~~~~
最後の夕食は、
僕が好きなお刺身だった。

もうしばらく、
生のお魚食べられないと思うから、
魚屋に良い魚の仕入れを頼んでいたのよと五月は、
少し自慢げな笑みを浮かべて、
僕が食べる様子を見ながら、
自分の箸は置いたまま、
家族4人の時間を楽しんでいるようだった。
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就寝

子供たちが寝たのを確認すると、
僕と五月は、
縁側のふちに座り、
青天の夜空を眺めながら、
ただただ、
互いの温もりを確かめ合い、
身体に刻み、
永遠の別れをするように、
慰めあった。

「子供たちを頼んだよ!」

「はい。お手紙書いてくださいね。」

「あぁ。必ず書くよ!約束する。
それから、絶対に帰って来るから、
待っててくれよ!」

「はい。」

「死んだりするなよ!」

「はい。仁さんも死んだりしないでください。」

「うん、わかった。死なないよ!」

「絶対死なないで(涙)」
~~~~~
出征の朝、
最寄り駅まで向かう途中、
きのう家族写真を撮影してくれた
写真館の旦那と女将が見送りに来てくれた。

「写真は持ちましたか?」

「持ったよ!
ここ(胸ポケット)にいつも家族がいます。」
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結婚から10周年

1945年秋
日本はようやく終戦を迎えてから、
しばらくして、
僕は家族の元に帰った。

何度かの空襲はあったが、
何とか家は難を逃れ無事に残っていた。

子供たちは、それぞれ、
七瀬は6歳、衣譜は5歳に成長。

僕が家に帰っても、
自分の父親と認めるまでに、
1週間もかかってしまった。

それもそのはず、
僕は、出征前に撮影した写真とは別人のように、
痩せ細り、肌色は真っ黒、髪も坊主頭と、
子供には他人にしか思えない風貌に変化していた。

五月は、
なぜか僕と同じように肌色は真っ黒、
近所の空き地を開墾して畑を作り、
すっかり農家の嫁のような風貌に変化していた。
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結婚から30周年

1965年11月15日
五月死去、享年50歳

畑仕事の途中に倒れ、
意識がないまま、
天国へと旅立ってしまった。

医者の話だと、
くも膜下出血で、
手の施しようもない箇所での出血のため、
手術も出来ないと、
最初から匙(さじ)を投げられてしまった。

「あと持って1週間」

五月はそれから1ヶ月も、
意識を取り戻そうと頑張った。

医者には反射だと言われたが、
五月は僕や子供の声を聞いては、
指を動かし、顔では笑ってくれた。

七瀬も衣譜も結婚して、
孫を連れて来ると、
五月はますます身体を動かした。
何度も何度も。

あの1ヶ月は、
僕にとって1年・・・
いや、出征して帰ってくるまでの、
5年分の時間を取り戻したように、
僕らは話続けた。
看護婦に怒られながらも、
夜中でもずっと話続けた。
そして、
何度も手を繋ぎ合い、
あの出征前夜の縁側のように、
互いに温もりを身体に刻みあった。
~~~~~~
五月の納骨が終わると、
寺の住職から一通の手紙を渡された。

「君の奥さんに、何かあったらと、
田中さんが出征した後に、ここに預けていた手紙が、
きのう偶然見つかってね。
これも五月さんからの虫の知らせかもしれないな。」

手紙には、
出会った日から出征後の家族の様子や、
もしも五月が死んだら、
訪ねる人は誰々など、
ラブレターなのか遺言なのかわからないほど、
どこか取り乱したように、
思い付くままに筆を執っていた様子がうかがえた。
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結婚から75周年

2010年4月8日
田中 仁死去

(ここの文字だけ、筆跡が違った)

代筆 田中 七瀬(長男)

父 仁は、まもなく100歳を待たずに、
本日、◯◯病院にて、
老衰で死去する。
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古民家に残された田中 仁が書いた本には、
手紙が挟(はさ)まれていた。

便箋を取り出すと、

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「来世の約束契約書」

私、田中 仁は、
来世、生まれ変わっても、
妻、田中 五月と、
出会い、交際し、結婚することを、
ここに誓います。


私、根本 五月は、
来世、生まれ変わっても、
夫、田中 仁と、
出会い、交際し、結婚することを、
ここに誓います。

昭和10年(1935年)4月8日
~~~~~~

結婚したその夜に、
二人で書いた契約書だった。


後日、
古民家をリフォームしていると、
1枚のCDが出てきた。

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ASKA『good time』
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CDに挟まれたメモ書きには、

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「来世の約束」の曲にぴったり。
五月に聞かせたい曲。
五月は、
僕のために席を詰めてくれるだろうか?
早く五月に合いたいよ!
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隣に住む農家の奥さんが、

「田中さんね、
とっても音楽が好きでね。
洋楽日本の曲何でも聴いていたわよ。
でも・・・・・
田中さんが施設に入る間際は、
いつも、ずっと同じ曲だったわ。」

誰の曲か尋ねると、

「男性の声だったかしら?」

古民家に残されていたCDをかけて聴かせると、

「そう!この曲よ!
なぜ、同じ曲ばかり聴いているのか、
田中さんに尋ねたら、
奥さんと一緒に聴いているんだって話すのよ。」

田中さんは、
いつもCDを聴くときは、
家の縁側のふちに座っている時。

その時、手には、いつも、
あの写真館で撮影した
夫婦の写真を持っているという。

そして、
お茶は必ず2つ用意。
冷めれば、
また新しいのを入れ直すという。


この古民家で見つけた
田中仁さんと五月さんの恋物語を、
知り合いの絵本作家に話すと、
絵本にしてくれた。
これから、販売すると、
今日、わざわざ田舎まで届けに来てくれた。

(絵本作家)
「あの!」

「何?」

(絵本作家)
「あの縁側に誰かいますよ!
ほら?見えるでしょう?」

「えっ?見えないよ!」

(絵本作家)
「こっちを見て微笑んでいます、ご夫婦で。
絵本を見せて欲しいと話していますけど・・・」

そう話すと、
絵本作家は、縁側へ行き、
まるでそこに人が二人いるように、
左右に首を振りながら話している。
時々笑みを浮かべながら。

(絵本作家)
「あの、この縁側に時々遊びに来ても良いかって、
新しい家主に尋ねてくれって言っています。
ほらっ!こっちを見ています、微笑みながら。」

「良いです!
ご自由に遊びにいらしてください!
って言ってくれるかい?」

(絵本作家)
「もうそこで聞いていますよ!
あなたの横で、微笑んでいます。(笑)」


(制作日 2021.7.12(月))
※この物語は、フィクションです。

今日は、
2000年7月12日発売
ASKAシングル『good time』
発売から今日で「21周年」になります。

そこで、『good time』を参考に、
今日のお話を書いてみました。

歌詞に

「どっちが恋に落ちた 見つけたと言いあっても
前の世じゃそれが 約束だったろう」

この部分から、
「来世の約束」というタイトルにしました。

人との出会いって、
前の世、つまり前世、過去世での約束が、
ただ果たされているに過ぎないと思うと、
出会いの不思議や奇跡、ご縁の深さを感じます。

皆さん、どんな来世の約束をして、
今日の出会いとなっているのでしょうか?
その一つ一つが、また、
素敵な物語ですよね。
想像するだけで、お話が尽きません(笑)。

(ニックネーム)
ねね&杏寿
(旧ひまわり&洋ちゃん)
(Instagram)
https://www.instagram.com/himawariyangchiyan/

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参考にした曲は
ASKA
『good time』
作詞作曲 飛鳥涼
編曲 松本晃彦
☆収録シングル
『good time』
(2000.7.12発売)
☆コンサート
『GOOD TIME』で披露
★Music Video★
https://m.youtube.com/watch?v=PGrbnNtb-98


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