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【超ショートショート】(47)☆歌いつづける☆~継続は喜びの種まき~

僕の親父は自衛官。

子供の頃、
親父のもう着なくなった自衛隊服に手を通しては、
自衛隊ごっこをして、
妹をいじめたと、
お袋によく怒られた。

(僕・子供の頃の心の声)
「自衛隊の訓練はそんなもんじゃないって、
いつもお父さんが話しているだろう。
何で僕が怒られなきゃいけないんだよ(涙)」


子供の頃、
小児喘息だった僕を、
親父は、
「水泳が喘息には良いらしいぞ。」
と、どこから情報を得て、
僕を水泳教室に通わせる。

水泳教室でも、
僕の喘息の話しは知らされていて、
よく練習中に先生が、
「水泳をすると肺活量が増えて、
喘息が治るらしいんだ。
子供のうちなら治せるって、
うちの生徒で治った子が話していたよ。」

ウソか本当かも分からず、
僕は、週3日水泳教室に通った。

最初は、
全く泳げなかったが、
ロングヘアーの美人のももちゃん先生が、
いつも優しく教えてくれるので、
すぐに25mをクロールで泳げるようになった。

そして、
次の平泳ぎのクラスに上がると、
そこにはももちゃん先生がいなかった。
とっても見た目が怖い、
ひげ面の男の先生がいた。
教え方は、ももちゃん先生みたいに、
とっても優しかったが、
やっぱりももちゃん先生に誉められる方が、
泳ぐのが楽しかった。


僕が、
こうして水泳教室に通いはじめてから、
数年後、中学生になると、
大会に出ることが増え、
記録も出るからと、
何処か有名な水泳の先生がスカウトしに来た。

僕は、家からすぐのここが良いと、
スカウトを断った。

高校受験の時、
今度は学校に、
あの有名な水泳の先生が現れた。
僕を水泳の強い高校に推薦したいと、
担任の先生から聞いた。
その学校は、全寮制で、
自宅を出て暮らさないといけないという。
僕は、家から出る気がなかった。
行きたい高校も決めていた。

学校からお袋に推薦の話が伝わった頃、
親父の耳にも入り、
僕を呼び出した。

(親父)
「何で推薦受けないんだ?」

(僕)
「家から通えないから。」

(親父)
「それだけか?理由は。」

(僕)
「はい。」

親父は、自分の子供の頃の夢を話した。
だが戦争が始まって、勉強すら、
ちゃんと出来なくなり、
戦争が終わると、みんなが貧乏になり、
生活することが本当に大変だったと。
親父は、長男だったから、
学校を出ると自衛隊に入って、
安定したお給料を確保して、
家族に仕送りしたそうだ。

(親父)
「だから、お前には、
好きなことで夢を叶えてほしいんだよ!
お前は水泳は好きか?」

(僕)
「まあまあ。」

(親父)
「そうか。お前の将来の夢は、
小学生の時は教師だったな?
今もか?」

(僕)
「一応。」

(親父)
「なら、生徒のためにも、
高校の推薦受けて、水泳で一番になれ!」

(僕)
「何で?教師と水泳、関係ない。」

(親父)
「人に教えるってことは、
自分が経験していないと、
本当のことは教えられないんだよ。
小さな子供が熱いお湯に指を入れるのは、
それが熱くてやけどするって知らないから、
指を入れて、やけどする。
でも、一度痛い経験をすると、
二度としなければ、
他の人がやけどしないように
注意してあげることもできる。
お前が子供の頃、
手にやけどしてから、
妹によく危ないって説教したの、
憶えていないか?
教師もそれと同じだろう?
たった高校の3年間だ。
他の人より少し早く
親離れの時がきたと思えばいい。
もう一度、よく考えてみろ。」


親父との話し合いの後、
お袋が、親父の本心を教えてくれた。

(お袋)
「お父さんね、本当は、
お前を遠くにやりたくないんだよ。
この一戸建ても、将来お前とお前のお嫁さんと、
孫たちで住めるようにと、
買うときに少し奮発して、
広い家を買ったのよ。
それに、二世帯住宅のために、
内緒で貯金もしてるのよ。
服だって買わないから、
いつも同僚や先輩からのおさがり。
時々自衛隊服を着るから、
スーパーに一緒に行くと、
よく驚かれて困るのよね。(笑)
お父さんはね、
本当は歌手になる夢があったのよ!
子供の頃、近所で有名になるくらい、
歌が上手いと評判でね。
近所の有名な作曲家に、
歌手としてスカウトされたの、お父さんが。
でも、親の反対があって、
泣く泣くあきらめたのよ。
それですぐに戦争になってしまってね。
夢どころじゃなくなったのよね、日本は。
お父さんはね、
自分みたいに夢を叶えられない子供がでないようにと、
日本を守るために、自衛官になったのよ。
だから、
お前がお父さんの分まで、
好きなことで夢を叶えなきゃならないんだ。
お父さん、水泳教室に時々のぞきに行って、
先生から「オリンピックの選手になれますね」って、
いつも聞いて帰って来ると、
「オリンピック選手にして金メダル取らせるぞ!」
と言って、お前のための応援歌も作ったのよ!」

(僕)
「いつ歌うんだよ!(笑)」

(お袋)
「お前がオリンピックに出場した、
その会場で歌うって(笑)。」

(僕)
「はっ?!(笑)」

僕は、
たくさん悩んだ結果、
親父のために、推薦を受けることにした。

僕が高校入学のため、
上京する前に、
親戚が送別会と
高校入学祝いのパーティーを開いてくれた。

こうしたパーティーがあると、
いつも親戚のおじさんたちは、
張り切って、楽器を持ち寄り、
即興のバンドを作り、
ミニライブが始まる。
僕も呼ばれて歌わされるが、
大トリはいつも親父。
数曲歌った最後に、
お袋からのリクエストで、
僕がオリンピックに出たときに歌う応援歌を、
初披露した。

(親父)
「お母さんのリクエストを受けまして、
息子のために書いた新曲を、
今日は特別に歌います。」


親父が歌い終わると、
部屋中、拍手の嵐。
隣の奥さんものぞきに来る、
ちょっとした騒ぎになるほど、
感動的な応援歌だった。


パーティーから1週間後、
僕が上京する日。

(僕)
「お父さん、あの新曲のタイトルは何?」

(親父)
「〈歌いつづける〉っていうだ。
お前が水泳をここまで続けて来たように、
お父さんも、
お前の応援を続けて行くつもりで、
あの曲を作ったんだ。
お父さんな、あの曲を作って、
ようやくお父さんの子供の頃の夢が叶った、
そう感じている。
1週間前にパーティーで歌っただろう。
あの後、近所の人から、
「誰の曲か?有名な人の曲か?
カセットテープは売ってるか?」って、
たくさんの人に親戚の人やお母さんや
娘にも尋ねる人がいたそうだ。
お父さんさんも職場で、そうなって、
一昨日の送別会で歌ってあげたんだよ!
みんな喜んでくれて、
お父さんも嬉しくてな。」


家族に見送られて、
電車が発車。

指定の座席に座り、
車掌が切符を確認に来たので、
カバンの中をごそごそ。
切符と一緒に、
1本のカセットテープが出て来た。

カセットのケースを開くと、
お袋の文字で、
~~~~~
お父さんに内緒で録音した
お父さんの新曲。
寂しくなったら、
これを聴きなさい。
どうしても苦しくなったら、
いつでも帰って来なさい。
ケガに気をつけて、
元気でいるのよ。

母より
~~~~~

僕は、
試合の前に、この曲を聴いた。
またまた、
教室で聴いていたら、
「いい曲だね」
と、音楽部の同級生が話しかけてきた。
手に持つギターを突然弾くと、
親父の歌を真似はじめて、
「君も歌ってみなよ!
それともギター弾いてみるか?(笑)」


僕は、大学生になって、
夏休みに実家に戻った時のこと。

いつものように親戚が集まり、
パーティーを開いてくれた。
また、いつものように、
ミニライブが始まり、
大トリは親父。
だけど、この時は少し違って、
どこから聞き付けたのか不明だが、
親父は僕がギターを
弾けるようになった事を知っていた。
だから、あの応援歌を一緒に歌おうと、
誘って、僕は仕方なく、一緒に歌ってみた。

親父は嬉しそうに、自慢げにハモり、
僕や親戚たちの驚いた顔を見て、
とても満足げだった。

親父は歌が終わると、
「ここまで、音楽を続けてきて、
今日ほど嬉しい日はありません。
息子がこんなに立派に成長した姿を見れて、
本当に、父親として誇らしい。
私の自慢の息子を、
これからも応援してやってください。」

そのメッセージに、
親戚たちは拍手。
またお隣の奥さんやご家族も拍手。

僕は、
こんなにたくさんの人の前で、
誉められたことがなかったから、
顔が熱くなった。


(制作日 2021.7.20(火))
※この物語は、フィクションです。

今日は、
1989年7月20日発売、単行本
『CHAGE&ASKA PRIDE 10年の複雑 Ⅰ』、
発売から今日で「32周年」になります。

この本は、
「Ⅰ」と「Ⅱ」があり、
「Ⅰ」はCHAGE&ASKAのデビューの頃から、
1984年頃までのお話が書いてあります。

その中の1つに、
曲『歌いつづける』の話があり、
デビューの翌年の初コンサートツアーから、
しばらくの間、 ラストソングとして、
歌われていたそうです。

それが、
1983年9月30日の
アーティスト初国立代々木競技場でのコンサートを
CHAGE&ASKAが行いました。
そのときのラストソングが、
『歌いつづける』ではなかった。

チャゲアスを語るときに、
この『歌いつづける』と次に歌われた曲は、
当時を知るファンには、
伝説の名曲として、
ライブアルバム収録CD)が叶うまで、
そうささやかれていました。

今日のお話は、
その『歌いつづける』を参考に、
また単行本も参考に書いてみました。

ちなみに、
飛鳥さんのお父様は
本当に自衛官をされていました。
また、
単行本によれば、
飛鳥さんは、子供の頃、
本当に小児喘息を患っていたそうです。
喘息の原因については、
飛鳥さん著作の別の書籍に書いてあります。

(ニックネーム)
ねね&杏寿
(旧ひまわり&洋ちゃん)
(Instagram)
https://www.instagram.com/himawariyangchiyan/

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参考にした曲は
CHAGE&ASKA
『歌いつづける』
作詞作曲 飛鳥涼
☆収録アルバム
『ライブ・イン田園コロシアム
~The 夏祭り '81』
(1981.9.10発売)

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