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子育ての思い出ー娘の思いやり

小さいころから、あ、この子、ちょっと違うな、と思っていた。
知的なことに関心があるとかなら別にどうのこうの思わなかっただろう。
一歳半を過ぎた頃、お絵かきせんせいというおもちゃに書いた絵を、まだよく回らない口で、

これ、見せて・・・。ことり・・・。

と言って持ってきた。「見て」ではなく、「見せて」。
まだこの時期、自分がするときの動詞と使役の動詞の区別がついていなかった。
毎日聞かせていた日本の童謡の中の「あっかいとりことり・・・。」という歌の本の中の小鳥を真似したのだろうか?
本当に小鳥だった。

その次に持ってきたのは、どうもドラえもんのようだった。

どちらも似ていた。
というより、一歳半の子の絵ではなかった。

ああ、どうしよう・・・。この子、私と違うものをもってる・・・。

夫が絵が本当に上手である。
私は内申に美術一つが響くほど、絵が描けなかった。

もう一年して、しまじろうのビデオの中に、絵が仕上がっていく様子を描いたものがあって、それを観てからというもの、娘は絵を描くこと以外に興味が全くなくなってしまったかのようだった。

それまではディズニー映画を英語のまま観て、お気に入りのセリフのところでは、

フラウワー。(flower)

とにっこり笑ってこっちに同意を求めるように、私と目を合わせた。
嬉しそうに。
生き生きした才気煥発な娘。
はっきりものを言うし、自分の意志がしっかりある。
どうも私の母に似ているかな?と今なら思う。
アルファベットにも音楽にも興味があり、アラジンのCDをかけると、勝手に振り付けして踊っていた。

それなのに、その以後、知的な関心よりも、毎日絵を描くことばかりになった。
三歳の時には、私も一緒にアンパンマンを描いたら、娘の絵の方が上手だった。はるかに。
なんとも表情があった。

ピアノのフレーズをサラッと弾いても、一生懸命に練習する私とは違って、なんだか音楽になっていた。ちっとも練習しないのに。
これはパパも同じだった。
譜面を読まないのも同じ。(笑)

譜面を読んだり、練習が好きなのは、私と息子。

もう二人?は、本当に芸術家なのである。(笑)
要するに私たちは本当に凡人にもしていただけないレベルだった。

なかなか生きて行きにくい子だった。
かてて加えて、転勤族で、全く転園も転校も知らない息子に比べたら、人間関係が結びにくかった。
私にとってはいい子で、可愛くて、でも、周りからはなかなか理解されない。

次行くところでは、どうぞこの子を理解してくださる先生とお友達ができますように・・・。

もう祈る思いというより、正直祈っていた。

幼稚園の先生には、仲良くなって、一生懸命娘のことを話し、理解していただけるように努力した。
家族みんなでその先生のことはファンになった。

地元に戻って来てからは、小学校ではいろいろあったらしいけど、ピアノの先生が娘のことを理解してくださった。

いい子じゃない?お母さん、大事に育ててあげて・・・。

きっとママ友レベルのことも影響していたのだろう。
私が、その辺りのお付き合いでは頓珍漢だったから。

転校した先の小学校の先生は、わかってくださっていたようだったし、中学校では、むしろ先生方が、娘のことを本当に気にかけてくださった。

小学校ではむしろ嫌がられていたのかもしれない私の仕事も、むしろこちらのそもそもの気持ちが伝わったのか、むしろ共感として働いたようだった。

一年目の担任の先生は音楽の先生で、

私、○○ちゃん、大好きなんです。
昔から、この地域に、こういう感性のお子さんがおられるような気がする。
勉強なんかは、誰でも巻き上げたらいつでもできるようになる。でもね、○○ちゃんのような内面は長―い長ーい時間を掛けないと育たないの。○○ちゃんのお母さんがこういう人やったんやね。

と、思わず泣けてくるようなことを言ってくださった。

お友達からの信頼もあるね。不登校の子が、そっと聞いたら、同じ班に○○ちゃんだったらいい、っていつも言うのよ。だから、班替えしてもいつも、誰かおらんかったでしょ?

良かった。娘の良さをわかってくださる先生だった。
私も入学式の時に、なんて素敵な先生だろう?と思っていた。

そして二年目は、高校の先生から中学校の先生になられた先生だった。
この先生は私と同級生の先生で、温かい先生だった。
二年後に入学する息子のことまで楽しみにしてくださっていた。転任されたけど。
十四歳の娘をもつ私とは違って三歳児のお父さんだった。

ふふふん、キャリアが私の方が上よ。母になってからが長いのよ。

と変なことを考えた。(笑)

思えば何にもわからない年齢で結婚して、ほどなく娘ができて、今でも思うけど、よくも母になるなどという大それたことができたものである。
今考えても、正直、どうしてそんな無謀とも思えることができたのかと思う。
二十二歳で教壇に立って、先生面?しているかどうかわからないけど、先生と呼ばれてきたのくらい、無謀である。
でも、毎日、先生と呼ばれ、お母さんと周りからも呼ばれているうちに、だんだん何とかなっていくから不思議なものである。

その先生との思い出にはあれこれある。
不登校になったお友達について、

○○先生は、先生は高校の先生やからわからんから、あんたたちやって、みたいなところがあるけど、ママは生徒の中に入っていくでしょ?
ねえ、○○救ってやって!

と不登校のお友達のことを娘から依頼されたことがあった。
どうも、教師としての私は娘から結構信頼があったようである。

かと言って、先生の熱いところが好きだったようで、二人の毎日の記録の中のやり取りが面白かった。

父親が金沢に単身赴任していて、金曜日の夜に帰ってくるというのに、校外学習で金沢に出掛けて、父親に金沢土産を買ってきた。しかも兼六園土産。私たちの新婚の挨拶の一つは、兼六園のお店回りだった。夫の取引先だったから。夕暮れ時にお邪魔したのを思い出して、複雑な心境になった。
しかも、自分の物買うお金がなくなっちゃった。いいの、私、このお箸があるから・・・。

と金箔を貼った工芸の体験で持って帰って来たお箸をダイニングの飾り棚に飾ってしまい、これでは何しているのか?ということになってしまった。

どうも娘も息子も、どこかに行ったり、学習発表会や文化祭では、家族全員にお土産を買ってくる。これは彼らにとってはマストだった。
なぜだろうか?
私がそうしているとでも思っているのだろうか?

一度など、富山市まで(住んだこともあるからほぼほぼ地元。)、夫のコンタクトを買いに、野球の練習に出掛けた息子以外で出掛けた。
夫がコンタクトを買いに行っている間、私と娘は総曲輪(みなさん、「そうがわ」と読みます。そうきょくわではありません。)の通りを歩いていたら、

あ、可愛い。

といきなり娘が入っていった先は、障碍者の方々の作品を置いてあるお店だった。レジをしておられる方は明らかにご病気のために顔が変形されていた。

キーホルダーを選ぶ娘。

パパにお土産!

と言っている。
だからあ、パパは一緒に来ているの!なんでお土産なわけ?
しかもお小遣いから買っている。

レジの人が無邪気に喜んでいる娘の顔を凝視されているのを横から見ていた。
大人が気付いていないふりをするのは礼儀である。
でも、娘の様子はもっと自然だった。
その娘の様子を不思議そうにまじまじと見つめておられた。

ああ、この子、こういう子なんだな、と思った。
いつの間にか、彼女にはいろんな人への垣根がなくなっていた。
それよりも、世間で言うところの、まあ、なんて言うか、勝っている人と言いうか、社会的地位が高かったり、経済力があったりする人を評価するようなところが彼女には全くないのである。
というよりむしろ、転勤で帰って来て、どちらかと言うと、社会的地位ということで言えば、まあまあいいお家の人がいらっしゃる地域というかマンションで暮らしていた。その地域の小学校で経験したことから、彼女は、どうも人に勝とうとすることが嫌になったようだった。

それまでは、運動会でも走ればいつも一等か二等。結構闘争心もあった。でも、障害物競走のような、途中でキャンディがあって、ざるから取ってくるような競争の時は、そのキャンディを選ぶのに気持ちが行ってしまい、そこで好きなのを選んでいるうちにべったこになっていたというようなことのある、なんとも呑気な娘である。

私も苦手。もっと言うと奥様も苦手なら、裏であれこれするような方々は苦手。
娘と私は、あまりに私がアホ過ぎて、結構な目に遭ってきたから。

私も、どちらかと言うと、夫や子供たちによってあれこれ言われるよりも、自分がどれだけ社会に貢献できているかということで自分を見たいタイプである。

娘はほとほと嫌になっていたらしい。

そんな娘が、先生とのやり取りの中で、

先生は、校外学習で、何か楽しむ時間はありましたか?

と訊ねていた。
先生は、

あれこれ対応があり、時間がありませんでした・・・。

と答えておられた。

ああ、娘は、ちゃんと先生のことを考えているんだな、と思った。

そこは私の仕事への共感もあってくれたら嬉しかった。

先生が下のお子さんの出産の折に、奥様に付き添っておられたことも話してくれた。
そして、やっぱり、

先生、お子さんは女の子ですか?男の子ですか?

と訊ねていた。

女の子です。(上は男の子だから?)女の子は育てるのが大変だと聞いているので(よくわかっておられるじゃん!?)、今から心配です・・・。

これって、先生、絶対うちのクラスの女子のこと思ってるんだよ・・・。

それもそうだけれど、奥様に付き添ったりするお父様が羨ましかったのかな?なんて思ってしまっていた。
同級生の男性なのに、ほんっと二人とも一人で出産した私などとは違うよね!同じ時代の男性か!?と思ってしまうおしあわせ💛
ご夫婦、仲が良さそうで、ほほえましかった。

先生が、生徒のことで悩んでおられるときには、

うちの母も、生徒のことで悩んだときに、よく相談を受けます。

と、自分が母親から相談を受けている、と表現していた。そんな事実はなく、娘なりの先生への思いやりを感じたが、同時に、担任の先生よりも、私の方を教師として買ってくれているようで、ちょっとばかり、いえ、大分嬉しかった。
けど、その中に、

うちのママだって悩むんだから、大丈夫ですよ!先生!

とでも言っているようだった。
確かに、社会人を経験されたから先生になられたので、私の方がキャリアが長いとでも思ったのだろうか?
それとも、もしかしたら、私のことを、母親としてはどうあれ、先生としては相当買ってくれていたのかな?

とりあえず、何はともあれ、少々生意気な時もあったろうし、あれこれあったけれど、とにかく思いやりのある優しい子に育ってくれた。
自分の大好きな分野もずっと大事にし続けてきた。
一つ大事なものがあれば、何があっても生きていける。
私にとっては、いつも国語を教えるということが支えてくれたように。

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