いじめの被害者が加害者になりやすいという話を読んで。
私は至らない人間なので、数年前にある先輩が歌を歌っていらっしゃるのを見つけて、言ってやりたくなった。
先輩、お金をもらって、よくそんな歌聴かせられますよね?
そこまでならまだいい。
少しばかり、自信がなくもない歌で、何かの機会に、○○さん、その音程外れてるの、なんとかしてもらえませんか!?
と言っているのを想像してしまったのである。かつて、めっちゃくちゃ怒られたときのことを、自分がうまくやって、やり返したいと、脳内でシミュレーションしてしまったのである。それに、ご自分の大切な人が、できないことをいいことに、そうされたら、どんな気分になるだろう・・・?と考えた。というより、いじめられたと、きっと訴えられるに違いないだろう、と思って、嫌な思いをする自分と闘っていた。
我が子にされて嫌なことは、私はほかの誰にもしない。
事実だからと言って、ストレートに言っては、それなりに教育の道を歩んできた経験はどこに行った、という話になる。
人を生かしてなんぼの世界。
まるで触媒のように、私たちは生徒さんが生きるために存在する。よりよくその能力や個性が生きるように。
それなのに、そこから外れた経験など思い当たりもしないのに、言いたくなった。
私って何?
教師じゃん!?
それなのに、そんな感情になるわけ?
いじめじゃない?それ。
で気づいたのである。
されたことを、したくなった私の心に。
ほかの人に感じたことのない感情。
きっと書けば済む。これで終わり。
それに、ことと次第によっては、きっと助ける方に回ってしまうこともあるだろう自分という人間の性質も知り尽くしている。助けるなんておこがましいけど。
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