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なんだか久しぶりに教師の仕事をしたと感じる痛み・・・。
今日、一人、退塾しました。
大学受験に向かう覚悟を問い、勉強を続けるかどうか、自分でしっかり考えておいで、と話しました。彼女の迷いは、周りに伝染し、私の気持ちもはっきりしなくなっていて、先輩の先生にも、メンターにもご相談していました。
教室の方針と違うのであれば、仕方がない、とか、塾なんだから、受験に合格することを目指すのが、そもそもの機能じゃないの?教育しようとまで思わなくても、と、私の側に立って話してくださいましたが、どうも心の中がしゃっきりしませんでした。
退塾が決まって、挨拶に来てくれた彼女の顔は、すっきりしていました。いつも、疲れた様子だったのに・・・。
彼女の心の中で、まだ吹っ切れていないものがあったのだな、と思いました。
大学受験の心構えについても話しました。かなり厳しい表現もしました。でも、今回は、彼女は泣きませんでした。
そして、今日、彼女の顔を見て、ああ、私、久しぶりに教師らしい仕事をしたんだな、と思ったのです。
教師が生徒を叱るとき、それは、痛みを伴います。特に私は、人の価値観に踏み込みたくない方です。また、影響は受けるけれど、決して流されない方です。教育的信念だけはあります。希望の見えない受験指導に、お金を払っていただけるほど、私は、お金をいただくことにばかり注視することはできないし、また、そうかと言って、ボランティアで指導をするわけにはいきません。自分の思う教育活動をしていくには、来年、教室が存続していなければいけないのです。また、お金は、人を本気にします。そういうものです。だからしっかり頑張ることができるという面もあります。
でも、もし、親子の間で、想いの違いがあったら、それはおかしなことになるでしょう。
親御さんは、自分の子供に、苦労をさせたくない。できることなら、それなりの学校に行って、できることなら資格を取って・・・、と考えられるのもわかります。でも、ときに、お子さんの気持ちは違うところにあるときもあります。
それを解きほぐす場として、相談室を設けています。でも、それは、大学受験指導をする時期になって、教室で語り合っていては、少々遅きに失します。そのころには、お子さんにも意志が育っているから・・・。それに、もう、受験態勢に入っている子の前で、時間を取っていることはできません。
どちらの気持ちもわかるような気がしながら、はっきりとした決断をしました。
久しぶりに、辛くて痛い決断でした。
でも、しっかり決まってみて、ああ、葛藤していたのだなあ、と感じています。教師をしていて、何度かめの、そう、思い出すような、痛みでした。でも、間違っているとも思っていません、結構時間を掛けて、考えてきたことだったから。
どうぞ、彼女が素敵な進路を、自分で決めて、しっかり歩いて行ってくれますように・・・。
一方で入塾する生徒さんもいて、私は、目の前の生徒さんに、集中しなければなりませんから。
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