束見本
束見本(つかみほん)を知っているあなたはきっと、出版関係に詳しい人ですね。あるいは紙業界、印刷業界の人か、作家なのかもしれない。
束見本とは、本の出来上がりを想定して、どんな形になるのかを具体的に見せるためのもの。全く何にも印刷されていないけど、形が『本』なので、そこに置いてあれば、「あ、本がある」と本当に思う。でもなんか変。全く印刷されていないから、不思議な気持ちになる。なんだろう、この神聖で無垢な感じ。全く風のない日の水面のようにも感じるし、ふかふかに積もった早朝の、まだ誰も踏んでいない雪道のようにも感じる。その滑らかさや、美しさを壊すことがためらわれる。
日曜日にぶらぶら散歩をしていたら、ブックオカのイベント会場に行き当たった。「けやき通り・のきさき古本市」だ。出店はプロの古書店だったり、個人だったり、友だち同士だったり。自分の読み終わった本やコレクションを持ち寄っている。そこで、この束見本をもらった。「ご自由にお持ち帰りください」と書いてあったので、「いただきます」と持ち帰ったのだ。
ハードカバーの束見本は、当たり前だが、ちゃんとした本の体裁で、布紐のしおりも付いていた。なんに使おうかと考えながら歩く。
日記もいいが、普通すぎる。それに日記を書く習慣がない。旅のスケッチやエッセイなども粋だが、滅多なことでは旅に出ない。思い出のスクラップブックにしてもいいが、各ページの厚みが増すと、本の形が崩れてしまう。
御朱印帳でも良さそうだが、これだけのページを埋めるには一生かかるかもしれない。ただのメモ帳?でも、ハードカバーの特別感があるし、意外性があっていいかもしれない。万年筆で書いてもいいな。
そんなことを考えながら、ぶらぶら歩いた。楽しかった。まだ何も手付かずの紙。しかも切り口がキレイに揃っている。たまらん。好きすぎる。だから、自分の文字などで汚したくはない。このまま、ずっと何も手をつけることなく、何年も宝の持ち腐れになる可能性も高い。
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