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もしも・・・?考えないなあ・・・。

最近NOTEの方はサボり気味。

書きたいから書いているのだから、まあ、自分のペースで・・・。

とは言いながら、どこかで、書きたい自分がいる。

あ、NOTE書いてないなあ、と。

毎日いろんなことを考えて生きている。けど、それをすべて文章にしていたら限りがないだろう。


自分のことをある意味人間関係に恵まれて生きてきたと思っている。仮に、仲良くなくても(これは勘違いも多いらしいけど。)、結構役に立ってくれたり、感謝できるような出会いがたくさんあったと思っている。

あるいは、こちらからどうの、ということではなくて、何かあったときに頼ってくれる、という人は、結構たくさんいてくださるような気がする。

ただ、あのとき、もしも○○だったら・・・、ということをあまり考えないタイプだなあ、とこのお写真の「if」という言葉を見て思った。

私の人生の中にifはない。

すべて必然にしてきたような気がする。

ときに、なぜ、大阪出身なのに、高岡で教育活動をいているのですか?と問われたことがある。

高岡に来たから。嫁に来たから。

それだけ。

じゃあ、その過程を後悔しているか?と言われたら、それもやはり、必然、としか言いようがない。

大好きな京都にいるという選択はちょっと考えた。

大学に戻りたいという思いはあった。

けど、三年勤めて、ある意味、当時の、まだ周りの価値観的には、ある意味優等生的に三年で辞めて結婚した。専業主婦になった。

少しずつ復帰して、今に至る。

そのうち社長になろう、と最近思っている。

経営者になり切れていない、と悩んでいたのに、この2週間ほどの間に、私の中の方針は変わった。

ほかの先生に活躍していただいて、私は後ろに退き、そうして、父親的?母親的?に、みんなを見守ることにしたのである。

全体像は自分で見る。

全体把握は私の仕事。

講師の誰かがわからない問題があって、教え方がわからない場合も、私の出番。

でも、ゆったりと背もたれ付きの椅子にどっかりと座り、私がいるだけで落ち着く、という生徒たちのご要望通り、私はどっかりと座っていようと思っているのである。

あらら、ずいぶん華麗なる転身だこと。

いや違う。

随分どっかりとした重みのある転身だこと。(笑)


なあんて、最近、生徒に言っている。

特に大学受験生に行っている。

私、来年社長になるから。

あなたたち、しっかり仕事してよね!

その前に合格していただきますからね!


卒業生たちが教えるとき、やはりチェリーの厳しさを知るそうな。

最初は、クラス指導をしていて、それぞれに進度が変わってくる。でも、それに合わせて指導するのがチェリーだから・・・。だから、頑張らなくちゃ!と自分を立て直しました!説。

それから、最近クラス指導をした卒業生は、クラス指導をしながら、生徒たちに、どう話しかけて、どう、こちらに言葉を発せさせるか?どれほど櫻井先生が偉大かわかりました・・・。

ああら、嬉しい。そんな風に言ってくれるなんて!

机間巡視をしながら、生徒一人一人を見ることができるようになるのが教師の仕事。誰一人逃さず、自分の中にその子を入れて、その子を意識して、どこがわかっていないのか?どこに自信があるのか?どんな言葉に反応するのか?

それをできるだけ早い段階で見分けるのが教師である。

個別指導だとわかりやすい面とそうでない面。距離が近すぎるときもある。ときにクラスと個別を融合させるからこそ、見えてきたり、あるいはうまくいくこともある。

それはその子その子によって変わる。

最近、またまた大講義がしたい!と思っている。

生徒たちは、先生のことだから、機会があれば、京都や名古屋くらいなら通うんじゃないか?と本気にしている。

まあね!言うだけなら簡単だから。

でも、あの、大勢を前に授業する感覚。

あれはあれで忘れられない。

何十人を前にしても、今、何をしているか?把握しながら、自分の国語の授業を進める感覚。その緊張感。

演奏するためにステージに上がるときの感覚に似て(いや、正直演奏の方があるかに大変!)、自分であって自分でないような一時間半である。

一方、個別指導や、小さめのクラス指導。

それはそれで、関係が密になる分、責任も増す。


などと、ちょっと夢のような話。(笑)


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