見出し画像

私からの教え子たちへの贈り物・・・。

普通の塾だったら、勉強を教えて、そして教科の力をつけたり、成績を伸ばしたり、受験に合格すればいい、ということになるのかもしれない。
でも、私はそれだけをするために教師をしているつもりはない。
そのことを最大限に効果的にするためにも、そして、逆説的だけれど、勉強する強さをもつことから、自分を鍛えて行ってほしいと思っている。

勉強だけ教えて、それなりの学校には入った。けども、その後の人生を渡っていく術がない・・・、などということを見過ごすことができるほど、私は人には無関心ではいられない。

生徒さんの成績の後ろには、親御さんがいらっしゃる。
親御さんとの関係は、当然生徒さんの成績に反映する。
だいたい、勉強なんて、詰め込んだらできる、というような甘いものではない。
第一、世の中で通用する人間になるために、勉強するはずなのに、勉強しても、世の中に貢献することもできなければ、当然にお給料にだって反映されるはずだ。

その関係をときに解きほぐすのは私の仕事であると思っている。
だから、徹底的に面談をする。
そのお子さんが、何に困っているのか?
親御さんが、どのような心構えでおられたら、お子さんが生き生きするのか・・・?
いつもそのことを思っている。

でも、それを必要がない、と思われる方にまでは、踏み込んではしない。
教科指導に留まるだろう。

だいたい、私は国語を指導するのはものすごく好きだし、精神的な面にまで踏み込むことは、結構労力のいることだから。
でも、人がしあわせになってくれれば、私も嬉しい。

今までにもいくつか、その人の人生を変えた、と表現されるような経験をしてきた。
それは小論文指導によってかもしれないし、国語の出題を当てた、というようなことによってかもしれない。ひょんなことで、○○大学受検したら?という一言によってかもしれない。

軽々しく、人の人生を変えた、などという表現を使ってはならない。
けれど、出会いだったなあ・・・、と思う思い出はいくつあるか、わからない程度にはある。

この記事が参加している募集

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。