もしかしたら、人生の転換期が来てるのかも・・・?
昨年、大学の先生とつながって、最近、ある大学の先輩とつながった。
昨年から今年に掛けて、どうも人生の大転換期が来ているような気がしてならない。
先輩と話して、思ったことは、正直、みんな、大変な時にいたわってもらえる人がいていいなあ・・・、ということだった。私など、みんなが気づくころには、大変なことはすっかり乗り越えている、というのが、パターン。
先輩方にもいろいろあったようで、これだけ年齢を重ねれば、まあ、いろんなことがあるんだなあ・・・、とびっくりするような事件を聞かされもした。
ただ、その話の中で、失恋の話があったり、相方の死や離婚などがあったり、はたまたお子さんの結婚や、早くも離婚もあったりしたのだけれど、正直、失恋が、トラウマになってる、なんて話をお聞きして、ああ、そういう人生を送りたかったなあ・・・、と思ったのである。
私のトラウマは、そっち系じゃないから。お恥ずかしい話、トラウマ、と言うと、めちゃくちゃ男子学生が多い大学に入学して、先輩に、「お前は、あ、俺にこいつ、気があるんちゃうか?ということみんなにするやろ?」と言われたことと、「シング・シング・シング」である・・・。
前者は、誰か男性に好かれたかな?ということがあるたび、「私がまた、何かしたんですか・・・?」と聞きたくなることである。これは非常に不便である。好かれるたびに、私が何か悪いことしたんですか?と聞きたくなるのである。ということは、きっと、人生の中で、熱烈に人を好きになったことなんかはないんだろう・・・。いや、たった一人の男性は、心から愛しているものの・・・。
生徒に好かれるのはいいので、自称「女光源氏」と読んで!と言っている。そう、指導中は、あなたのことしか見ていません・・・。
いや、それより、トラウマは、ドラマーとしての私。
教師としてのトラウマなんて、ない。まったくない。
し、し、しかし、高1で、初めての定期演奏会で、担当した「シング・シング・シング」には、相当なトラウマがある。いや、これは、演奏だけの問題じゃない。諸先輩方や、同級生との間に、かなりの罪悪感と怒りと、どうすることもできない感情を残している。音楽好きだった私が、今も、音楽やってます、と言えなくなりそうなくらいに、まだ片付いていない感情がある。
でも、最近、音楽と自分は付き合いなおしているような気がする。人間関係の関わらないところで、関係を結びなおしているような・・・。
好きな音楽を聴き、勝手にピアノを弾き、おまけに、フィルニまで入りたい、と思ってる。だから、トラウマになってるなんて、おどろおどろしいこと言いたくない。
でも、山中伸弥先生のお話を読むたび、私、これわかるなあ・・・、と思うことがある。研修医時代、担当の先輩が怖くて、鬼軍曹のような人だったらしく、「お前なんかジャマや!ジャマ中や!」と言われたというお話。体育会系で、結構しごきに慣れていても、そんなもんじゃ済まなかったという話。そのために、臨床医ではなく、研究者になったという話。
全然レベルの違う話だし、そんな方と同じレベルで語るのもどうかと思おうけれど、私と音楽の関係では、ピン!とくるところがある。あれだけ怒られてばかりだったら、そりゃあ、嫌になるわな。先輩が、「教育の話になると熱くなります。」などと書いていらしたけれど、教育現場に長くいた私からしたら、あなたに教育語らないでほしい、と言いたい。
誰かが誰かを伸ばそうと真剣に考えたとき、表現というものがある。それは、かなり岐路の連続だ。たった一つの言葉で、人を殺すこともできる。いや、本当の意味ではなく、心を失くさせることもできる。
私なりに頑張っていた。もちろん、全然なレベルだったけど・・・。でも、ある日、私の心が凍り付いた言葉があった。一人でドラムスの練習をしていたとき、ほかのメンバーが、ほかの曲を練習していたときに、私の練習を、「突貫工事」と指揮者の先輩が表現されていた、と卒業された先輩が、私のところに来て教えてくれたときだった。どれほど私が、その立ち位置で、大変だったのかを分かってくれている人もいたけれど、そういう表現するものじゃないよなあ、と思う。二人の先輩は、受験勉強に走り、同級生は、病気になり、みんなの同情を集めていた。で、説得を受けて帰ってきた先輩二人は、いつも二人で同じ行動。私にいったい何しろって言うの!?だったと今頃思う。どうして自分の言葉で、意見を言わなかったのか、あるいは言わなかったのか?と思う。理不尽だったと思う。
そんなこんなで、ドラムスをある程度できるようになってから死にたいな、と思ってみたりする。でも、そんなにドラムスに愛着がなくて、ほかにうやりたい楽器があるのだから、だから、そんなこと忘れたい、と思う。でも、今なら、もう少し素敵に叩けるんじゃないかな?だって、あの頃より、たくさん周りからの愛情を感じているから。
それはそうと、最近いろいろ素敵なことがある。
今日、先日、たくさんの本をいただいたお家に、京都のお気に入りのお菓子を持って行ってきた。そしたら、そちらの奥様が、「文庫本もたくさんあるがやよー。あのね、藤沢周平とか、司馬遼太郎とか・・・。」と言われて、「私、司馬遼太郎、めちゃくちゃ好きなんです!」と言ってしまった。「そしたら、私が一通り読んだら、持って行くちゃー。本の行き所ができてよかった!」と言ってくださった。嬉しかった。本当に。
それから、仕事で、数字関係の勉強を始めた。指導に忙しいから、たいして入り込む気はないにせよ。それから、そちら方面のお仕事をされている方と出会いがありそうである。それは、ある機関にすすめられてのことである。ステイタスが上がるから、ということである。
いたわられる、というより、大きく見守ってくださった方の存在が大きい。いたわられたら甘えるから、それでよかったんだと思う。
なんだか、再会も含めて、あれこれある。
でも、しつこくトラウマを追いかけるのはやめたい。
さっさと違う楽器に転向するのもいいなあ、と思っている。
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