友達のありがたさ・・・。
今朝、友人から電話があった。
そろそろ私が落ち着いたかな?と思ってくれたらしい。
ちょうど今日は、大学受験組が数人、旅立っていて、指導のコマが少なくて、午後からの出勤だったので、私は午前中家にいたのである。
私が年末年始、何をしていたのかわからないくらいな状態になるので、電話は控えてくださる方が多い。
正直、世の中の何かに心捉われていられるような年はない。
今日、なんだか褒めていただいて、私は嬉しかった。
自分でやってきたんだよねー。何かフランチャイズで看板があるわけでもないのに、生徒さんが来て、ちゃんと授業を受けていて・・・。
なんて言ってくれたのが嬉しかった。
私としては、あなたみたいな人が働ける場所を作りたいのに、なかなかそれができなくて・・・、と言いたいところ。
北陸のこの町と縁があって、その友人に言わせると、大阪から来たのに、あなたって、変に、ここの人より、ここの人らしいところがあるじゃない?
と言われて、悦に入ってる私・・・。
愛してるよねー。ここを。
と言われて、そりゃあそうよ。ここでの経験が、私の人生を作ってきたんだから・・・。
などと答えている。
もしも、ぬくぬくと、地元大阪に住んでいたならば、経験しなかったであろうことを、どれほどたくさん経験させていただくことができたであろうか?また、郷土料理のいくつを学ばせていただくことができたであろうか?
どこに行っても、コミュニケーションの方法は違えど、人はそうそう変わるものではなく、信頼される方法も、人とのお付き合いの仕方も、それほど違わないと思わせてくれた土地。
自分が一生懸命努力して、その土地の良さを学んできたからこそ愛おしい。
この土地で、私なりの教育がしたい。
親子の関係の間にいて、解きほぐせるものもあると思う。介入する気はないけれど、それでも、第三者の立場として、させていただけることがあると思う。
その間に私の大好きな教科がありはするものの、でも、その伸びや、進路から、私が、こうすれば・・・?とお話しできることもあるし、実際、そのことがきっかけで、改善された親子関係もある。親子関係が変われば、当然勉強する姿勢にも反映される。
一方で、大好きな哲学者たちの名前を思い出し、世界史を教え、大好きな戦国武将たちの話をしながら日本史を教え、古文の日記文学に感動しながら、評論ではあれこれ考え、毎日数本の英文を訳し、疲れはするけれど、私はとっても充実している。
その反面、生徒さんや保護者の皆様に接し、来し方の自分の姿を反省したり、ああ、よくやっていたなあ、と思ったり、もうちょっとお互いに自分を褒めてもいいよねー!などという楽しい発見をしている。
一石二鳥どころか、一石〇鳥かわからない仕事の仕方ではある。
そんなこんなを思わせてくれた友達の言葉だった。
さてさて、今年度の受験が終わるまでもう少し。
頑張ろう・・・。
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