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HAPPYになる5つの考え方

私は昔っからとんでもなく前向きな人間らしいのです。
大学四回生時の教育実習でも、先生方にもそう表現されました。
自分ではそう思ったことなどないのですが、でも、考えてみれば結構もうだめだと思っても仕方がない場面でも、割とその状況の明るい面を見ることが得意な面があると思います。

【1】どんなことにも良い面と悪い面があることを理解する。

仮に、何かをするためにほかの人よりも条件が悪い状況にいたとしても、どんなことにもプラスの面があると考えて、そのプラスの面を最大限に広げていく考え方をします。
例えば、とんでもなく横暴な旦那さんと結婚して、

もう腹立つー!

ということになっても、

そうか、確かにまだできてないからな。

と考えるようにすれば、相手は成長しないかもしれませんが、自分は大いに成長します。
今の時代にはそぐわないことを承知の上で、でも誰もが違う生活ができるわけではないので、敢えてできないのであれば、それをうまく使います。
私の場合は、そのために、相当に家事能力が上がりましたし、お料理では特に、私のお料理を食べたいと言ってくださる方々が多くなりました。

お前、毎日こんな料理が食べられていいなあ・・・。

と言われても、新婚時には、

そうかあ?俺はあんまりこういう料理好きやないけど・・・。

などと言っていました。
そのうち、周りがあまりに私のお料理をほめてくれるようになり、認めてくれました。(笑)



【2】今の状況が良くも悪くもずっと続くわけではないということを常に思う。

どんな状態であっても、今の状況がずっと続くわけではありません。
悪い状態ならなおさらですが、良い状態だとしても、その状態がずっと続くということはないのです。
良いときは、そうそう喜び過ぎず、悪いときも悲観しすぎないで、今できることを精一杯し続けるだけでいいと私は思います。
これは夫がサラリーマンをしていると、いいときも悪いときも両方、それなりに自分の人生において、それなりの意味をもってやってくることなんだなあと思ったことがあったからです。

かつて左遷というような形で札幌に転勤しました。
そういうときって、とんでもなく淋しいものです。
夫がそういうことを一人で家族に知られないようにするタイプでなかったら、互いに連携も取れるし、ともに乗り越えようと思えますが、そういうタイプでない場合、孤軍奮闘を強いられます。

私は、転勤して半年後、身重の身体で、ある会を開く立場になったとき、たかがお菓子の選定のために、ほかの人たちの人間関係に巻き込まれて、結構大変な目に遭いました。夫は庇ってくれるタイプの人間ではありません。
そのときに、メインのお菓子はほかの奥様と選びましたが、甘いものだけだとよくないから、と言われていたので(だんだんに無理な注文が増えていくように思われました。)、何かちょっとからいものを、という提案があり、私はあちこち適したものを歩いて探しました。
そしたら、ある日、札幌フードセンターで、素敵な「七福神」というあられのちょっとした袋に入っていて、一人一人に分けやすいものを見つけたのです。パッケージもおめでたく、素敵なものでした。歓迎会を開くという目的にピッタリのお菓子でした。


お店の画像を拝借しました。懐かしいけれど、パッケージは少し違っていました。

当日、私が選んだと知らなかったのか、周りの人たちに相当に評判が良かったようでした。

その数年後、ずいぶんな栄転の形で地元に帰るときに、それまで懇意にしてくださっていたおばさま方から、

飛行機の中ででも食べてね・・・。

と包みに入ったお菓子をいただきました。

そのお菓子を見て驚きました!
そうそう有名でもないと思うのですが、なあんと!



これを大事に札幌から持って帰りました。思い出の七福神あられ。
やはりデザインが違う。


なんとも素敵な偶然のように思いました。
娘の幼稚園の卒園式でも、転勤して札幌に来てからの生活の中心に幼稚園がありましたから、いろいろな思い出が走馬灯のように蘇って、わんわん泣きましたが、それから五か月後には、また、

もうこれでいいよ。お前はお前なりによくやったさ・・・。

と言われたようで、札幌に来て最初の大騒ぎの苦労とその時の切ない思いを思い出して、それなりに達成感があり、一番仲良くしていただいていた奥様に、その不思議な件を電話で話したのでした。

とはいえ、そこの文化に慣れないのも、ほかの奥様の心の機微に気づくことなく過ごしていたのは私の方の問題です。それに、もしそれをサポートするべき人がいたとすれば家族である夫であったはずですから、今となって、誰かを恨むとか、嫌な思い出だとかいうよりも、どちらかというと、

私にも若い頃があったよなあ・・・。

と思う方が強いのです。(笑)

だから、良いことも悪いこともそうそう喜んだり落ち込んだりすることはないなと思っているのです。
これは経験上。(笑)


【3】そのときにできることを一ミリでも努力する


とりあえず努力しておけば何とかなるというのは、受験業界にいる者の実感でもあります。
ほかの先生もおっしゃっていましたが、せいぜい高校受験について言えることだと思う面もありますが、まれに大学受験でもあるのですが、コツコツ努力している子は、何とかなるものだし、なんとなく、この子なら合格するというものがあるものです。

カルヴィン・クーリッジの言葉にも、

辛抱強さほど大事なものはない。

というものがあります。
ある本の中には、才能があっても学歴があっても、いろいろなものに恵まれても、とにかく忍耐強さに勝つものはない。

というような意味のことが書かれていました。

結果が出ようが出まいが、その時にできることを一生懸命にする。
誰かに嫌なことを言われて、胸ふさがるような気分の時でも、とりあえず、その時にでき精一杯の努力をする。
そうしていれば、何もしないよりも、絶対にそうありたいという方向に近づくはずです。

【4】誰も自分の人生に責任を取ってくれるわけではないので、人の目はある程度気にしない。


私は、過去の恥ずかしいことを思い出しては、ときにその場に蹲りたくなります。しばらくの間はその時のことが頭から離れないので、胸がキュンとします。
でも、しばらくして思うのです。

誰も私のそんな恥ずかしいことなんて、覚えてないって・・・。

大抵私が、勇ましい?ことをするのは仕事がらみです。
そのほかのことなんて、たいてい何でもいいのです。
それはもう、蛮勇に近い勇気を出してしまいます。
というか、目の前に国語の文章があり、生徒の受験があれば、もう最善の方向で行動させてくれない人は、絶対悪です。
自分のメンツのために人の足を引っ張るなんて、最悪の悪です。

この人、いったいなんでここにおるん・・?

だいたいにおいて温和そうに見え、確かにそうそう何かを言うわけでもない私が、そうママ友たちからは絶対に見えない姿を現します。
誠実でない仕事は大っ嫌い。
勉強もせずにあれこれ言うな!
受験業界にいて、生徒のことを思って、少々の無理もできないのならやらんでもいいやん!

とまで思います。
普通の生活人としての私が、仕事をしているときの自分を思い返してみると、もう恥ずかしさでいっぱいになります。
それなりに悪目立ちしただろうし・・・。あああ。

でも、札幌で夫の代わりに同窓会に出席した時も、その会に初めて出席した人が壇上に立って一言スピーチをと言われて、

そんなん聞いてないやん・・・。

家に乳飲み子を置いてきて、こともあろうに娘の誕生日に、そんな久しぶりに人前で、それも結婚式レベルではない人前で話すことになったのでした。

先輩方のために(後輩にあたる人も数人はいましたが、たいていはスーツ姿の男性で、会場はなんだかグレーと黒の雰囲気でした。私でさえ、ちょっとは華やかに見える?)、精一杯壇上でトリを務めなければならないことにドキドキしながら考えていました。

そういえば、お隣に座っておられた大先輩の女性は、北海道のテレビ局のディレクターさんだったような。社会で活躍されている先輩に、

あなたは大阪弁があまり出ないのねえ。私はこれで行くって、むしろ関西の言葉でしゃべ多方がいいかもしれないわよ。

と言われ、そんな世界に住んではおりません、と言いたかったのを思い出します。

後輩たちが面白いことを言ってくれたので、それに便乗する形で、話したら、会場は歓声と満場の拍手!
いつもの集合住宅での悩みなどぶっ飛んで、私、何してるのん・・・?
と頭に???が飛びました。(笑)

帰りに何とか娘の好きなチョコレートのデコレーションケーキを買って、すっ飛んで家に帰りました。

そのときも、まあ、小さな声で、なんてことないことをしゃべってもよかったのかもしれませんが、つい役割を考えて、精一杯なことをしてしまいます。
その時のことが、少々の社会復帰につながったのだから、面白いものです。



【5】勇気を出したもの勝ちだと思い、失敗を恐れない。


そうそう、成功者の共通点は・・・?
失敗の数の多さだそうです。

ついでに大不況の後に大富豪が現れるらしく、その富豪たちの共通点は、たくさん経営破綻し、何度も倒産を経験しているらしいのです。
要するに転んでも起きればいいわけです。
こう言ってのけられるようになったのも、たいてい失敗の次には新しいステージが待っているということに気付いたからです。

私は大富豪でもないし、なる予定もないので(笑)、そうそうとんでもないことにはならないと思いますが、失敗ってそういうものだと思います。
失敗は失敗ではなくて、次に行くサインではなかろうかと思います。

私の場合は、どうも職場の人間関係的にぎくしゃくしてきたなと思った時は、あっさり次に行く時が来ているようです。
大抵は引き留めてくださったり、時には、

そんな、困ります・・・。

という話になったりもするのですが、だいたいにおいて、正論としてこちらの言っていることが筋違いでもないので、やめることになります。
どうもそこからの卒業というニュアンスがあるような気がします。

そこでの仕事は精いっぱいやった。学ぶことも学ばせていただいた。
自分がどういう人間かということもよく分かった。
お互いのために、別れましょう・・・。

みたいな。
こともあろうに、人生の中でたった一回首を切られた職場は、実績を出し過ぎたのが原因のようでした。
本当の原因を、周りの人から聞きました。
なんとなくわかるのです。
私は宮仕えには合わないのです。
それを相手のせいにすることも、自分のせいだと思い詰めることも必要ないと思います。

それに、引き留めるなら、もう少し大事にしていただければいいし、ある職場では、私の言い分がよくわかっておられたような方に、

本当に申し訳ありません。使っていただいた御恩は一生忘れません・・・。

など大げさに謝ると、

しょうがないんや・・・。

と言ってくださいました。

ちょっと、いえかなり申し訳なかった・・・。
けども私の方でも結構なことがありましたから、それでいいのです。

失敗しても、やはり言うべきことは言った方がいいし、表現しないでそのままにして何かあったときの後悔をするくらいなら、ちゃんと行動しての後悔の方が気が利いていると思います。


若いころの、あるいはずいぶん大人になってからの話を生徒たちにすることがあります。もしかしたら、子供たちにしているよりも生徒たちに話しているかもしれません。
だって、国語は心情理解や状況理解などが大事です。
それをわかってもらうためのエピソードです。

そしたら、

先生って、顔が広いですね!

とか、

人間関係がすごい!

とか言ってくれます。

あれれ?
私、友達少ないと思ってるんだけど・・・?

と話すと、大学生たちは、

先生が友達認定していないだけでは?

と言ってくれるし、母などは、

今、会っている時間がないもんねえ。

と言ってくれます。

でも、先日前世は何をしていたか?診断をしてみたのですが、何度やっても私は神官らしく、要するに公正なあまり、人からは冷たく感じられる時があるかもしれないそうです。
そうそう、身近にいる人だからと、客観性を捻じ曲げてまで味方できるかというと、そこはなかなか難しい。

男性だったとしたら、お嫁さんに淋しい思いをさせてしまうタイプかもしれません。

○○ちゃんと仲良しだから、絶対に味方になる!

とはいかないのかもしれません。
そういうところで、私は自分の友達が少ないと思っているかもしれません。
これは超絶母に似ています。
それに娘も相当に公平にものを考えます。

これっていいことだろうか?

でも、私は何があっても、子供たちの見方だとは思います。
公平ではあっても、もちろん母親としての情はありますから。


今思い出したのですが、大学時代の男友達に、

おまえなあ、例えばKちゃんやったら、世間のみんながKちゃんの彼氏を非難しても、絶対にKちゃんは彼氏の見方するけど、俺はお前が、先輩が全世界を敵に回したとき、絶対味方する覚悟があるとは思えへんなあ・・・。それほど愛してるかー?

ときかれたことがありました。
が、ちゃんと味方してきたし、それを言われるなら、やはりどこか愛が足りなかったのか、それとも、やっぱり神官なので、公平にものを考え過ぎていたのでしょうか・・・?(笑)


というわけで、私なりのHappyになる5つの考え方をまとめてみました。
ああ、面白かった!


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