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子ども時代の大切さー思い切り愛すること

今、目の前にいる受験生たち・・・。
彼らを見ていて、よく自分自身の親としての在り方を振り返る。
至らぬ教師は、違う面では至らぬ親であり、今思い出しても、ああすればよかったのだろうか?こうすればよかったのだろうか?とあれこれ思う。

ただ、かつて旦那様がその企業の中では高学歴で、その奥様とお話していた折によくお聞きしていたことがある。私と同じ年で、でも早生まれだから私より一学年上のお嬢さんが結婚されないことを悩まれてのことだった。

家なんて、あまりべたべたしていなくて・・・。それよりもっと、学歴とか言うよりも、もっともっと、学歴なんかでなくて、(中卒とかのお家で?)、理屈なしに子どもを可愛いーって抱きしめて育てておられるお家の方が、子ども心には良かったのかもしれないと思ってね・・・。

それ以外にも、親御さんは先生、お子さん三人は、一人は国立医学部、一人は関西の最難関大学の農学部、妹さんはピアノの先生というお家のお母さまにも、

立派に育っておられて・・・。

と幾分盛りながらとはいえ、褒めたら、

だから怖いのよねえ・・・。

と親しさからか、正直に心の内を語ってくださった。

そういう先輩方の、むしろ高学歴な人の子育て失敗かもしれない話を耳年増的に聞かされてきた私は、高校教諭を辞めてからの子育てに、あれこれ考えもし、どれが正しいのだろう?などと考えたりした。自分が変なことしないかな?とも思った。
どうも知育偏重が良いわけではなさそうだった。
私など、危ないから運動もダメ、自転車もダメ、駄菓子禁止、お洋服も決められたもの(祖母が救世主で、昔着たかったパイル時のノースリーブの、なんとも目立つ色のサンドレスを、お中元を贈りに行った百貨店で買ってくれた時は嬉しかった。もちろん母には不評だったけど。(笑))、帽子も靴も決められていた。別にそれはいいにしても。

だから、我が子には、好きなものを買ってあげたし、可愛い物や、勉強に関係ない物も買ってあげた。息子が駄菓子屋さんに行くことも許したし、自転車も早くから乗らせてあげた。そうだそうだ!過保護で育った私は車の免許を持って、先日などは阪神高速をぶっ飛ばしたではないか・・・!?
母の手を離れてからの私の活躍は、何よ!

でもそれよりも、私は勉強や、何ができるかということよりも、子どもたちが可愛くて、抱きしめて、チュッチュッチュッチュして育てた。

チュッ!(お口にチュッ!)
キス!(これはケビン・コスナー主演の『アンタッチャブル』の中で、「エスキモーのキス」と言って鼻をこすり合わせていたので、真似した。)。
そんでもって、「愛し愛し愛し」と言って、頬ずりをしてた。

なぜか、小学生になり、結構な年になっても、この三セットが好きで、母を嫌がることはなかった。
もう可愛くて可愛くて、娘が喘息の発作を起こしたときには、

今日はもう二人で一日お休みにしよう!

と言って、私はお寿司屋さんのランチのテイクアウトで、本当に安かった鰻を買いに走った。娘の体力をつけるために。

娘を焦らせることはしたくなかったし、こちらが焦っては良くない。勉強は元気になってからでもできる。
娘も、下の息子も一学期間に十日くらい休むこともあり、実は随分心配したものだった。
その割に勉強は着いていけていたし(決して褒められた成績だとは思わなかったが、私は評価していたし、先生方もそうおっしゃっていた。)。
夫は、そんなに学校を休ませていいのか?と昭和的なことを言ったけれど、私は子どもたちの身体の方が大事だった。
もちろん、何かあっても、勉強なら自分が教えられると思っていたからかもしれない。
もしいじめなどで学校が嫌になり、不登校になっても別に良かった。
なんであっても、命あっての物種である。
生きて行く方法がいくらでもあるが、それとて生きていなくては何もできない。
身体が第一。
それから、自分を親が受け入れているという感覚。

どれほど伝わっていたかはわからない。
でも、これだけは言える。
きっと、母さんは、自分たちが困ったら、どこからか、助けてくれる。
いや、本人たちが何もしないのに、助けはしない。
しっかり頑張った上でどうしようもなくなっても、母さんは味方してくれる。

そう思ってもらいたかった。
根っこの部分で、何かできるから、能力があるから、とか、いい学校に行ったから、いい職業に就いたから、ではなくて、その存在そのものが大好きなのだということだけはわかっておいてほしかった。

そうそう、親は子どもの味方。

I'm always on your side.

いつも味方。

その感覚をもってもらえたらなんでもOK.

と思っていた。

それに、これだけは努力したなあ、ということは、とりあえず子どもたちの気持ちを聴くことだった。
それとおいしいご飯を作ること。

それ以外は、本当にダメなママで通っていた。

もう、本当に家のママは!

と何度言われてきたことだろう。
夫の仕事柄か非常勤とはいえ、学校に勤めていることは、あまり褒められたことではなかったし、まあね、それくらい言われても別にいいけど。

目の前の生徒さんに教科指導をし、受験指導をしている身で、こんなことを考えている時点で、私はどうかしているのかもしれないけども。

でも、本人が勉強をする気になったら、それは強い。
したくなったときにする勉強は強い。
自分でしなければならないと考えたときには強いと思う。

本当に自分からやりたくなってもらえるように、私は毎日あれこれ教師としての仕事をしているのだと思う。いろいろな方向から。

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