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かわいい。を旅する諏訪の俳画人、岩波其残の展覧会に行って来ました

先日、noteクリエイターのつきふねさんの記事を拝見いたしまして、ある展覧会が長野県の下諏訪で催されていることを知りました。

その展覧会は郷土の俳画人、岩波其残(きざん)を特集したものであり、大変興味をそそられました。

(そう言えば、お諏訪様にはまだお札を返しに行っていないな…。よしっ色々やりたいことができたし行ってみるか。)

ということで、行ってきちゃいました、諏訪。

つきふねさんの記事のご助力のおかげです。ありがとうございます!

ところで、岩波其残という俳人であり画人でもあるというアーティストは、どういった人だったのでしょうか。ご子孫で其残研究家でもあられる山田敦夫氏の論文をもとに説明いたします。


其残は1815年、上諏訪の旅館業を営む山田氏の長男として誕生しました。のちに名乗る岩波姓は母方のもの。

10代の頃から諏訪高島藩士で俳人でもある久保島若人から俳諧を習っておりました。他にも蕪村に私淑した俳画や、四条派に倣った絵画、篆刻、そして最も情熱を傾けた焼き物・楽焼などなど、多彩な趣味人ぶりを発揮しています。

そんな道楽ぶりもあって、家督は弟でもある養子に譲ってしまいます。しかも、自宅裏で楽焼を焼いていた眼科医の愛人・みちと恋仲になってしまい、それがバレたせいか、30代で彼女と共に全国放浪の旅に出ます。

諸国漫遊はなんと10年にも及び、その間北は奥州、南は長崎(そこで生涯の趣味である写真術も学ぶ)まで踏破しています。マルチアーティストであった其残は各地で陶芸や絵画の先生をしていて、食い繋ぐことができたそう。

ようやく郷里に帰れたのは44歳の時。母の岩波家を再興するとともに、この頃から「其残」号を名乗り始めます。

それからの其残は明治維新を跨いで積極的に活動を続けます。諏訪大社の神官や教職をしつつ、先達の俳人顕彰や画業、写真、俳諧と実に大きな足跡を残しました。

晩年は妻に先立たれますが、俳聖・松尾芭蕉の没後200年のお祭りを高島城公園で開催し、最後まで俳諧への愛を貫いて80歳で亡くなりました。


とにかくマルチなアーティストだった其残さん。

俳人として行った業績が今では有名ですが、最近は彼の描く「かわいい」俳画にも注目が集まっています。

それに今回注目したのが、下諏訪町にある諏訪湖博物館。

なんの建物だろう?と思う不思議なフォルムの建築物、これが諏訪湖博物館です。

私は今回が初訪問となります。ちょっと下諏訪駅からは遠いのでタクシーか、徒歩で30分程度です。

其残の展示室はそれほど大きいとも言えない一区画となっています。撮影はOKとなっており、SNSへの投稿が促されています。

私が訪れた時はどなたもいらっしゃらなかったので、絵とともに書かれた一句一句を文字起こししたものを、つぶやきながら回ることができました。

先のつきふねさんも写真は多くアップされておりましたが、今回は私の気に入ったものを一緒に見ていただくことにいたしましょう。

イラスト画集、というより元々は一巻の絵巻だったものを掛け軸に仕立てたものかも。
軽妙なタッチで描かれた花見図。桃色が😍
大津絵の妖しい藤娘とイケメン鷹匠。どっちも顔が…。
伊藤若冲も描いた白象さん。フォルムがかわいいです。
犬・猫・ウサギ、そしてオジサン。
今日も諏訪湖は凍っておりました。昔の人は氷上で焚き火をしたそう。怖いっ。

諏方の湖 氷の上を 凍りけり

冬の温泉逗留中の私ですね。食うか、風呂入るか。

飯食か 仕事のやうや 冬籠

紫にも色々あるんだぞっ!(ドヤ顔)

紫も 別むらさきの 桔梗かな

雨は描かれてないのに見えてきそうなのが不思議。

手すりから 人見下すや 春の雨

子どもの寸足らずさがなんともいいですね。
当たりくじはどれ?
其残はお子ちゃま描かせたら上手いなー。ちなみにこれは蚊帳。
蕪村風?中村芳中風?な人物たち。みんな踊れー
どぉこ行っちゃったんでしょうね、神様。

いつ見ても 御留守らしさや 石祠

其残が青年期から造り続けた楽焼。胴締めや口縁に手捻りの良さが出てます。

今回はここまで。

是非機会ありましたら、諏訪湖博物館へ。

私は2月24日に行われる、先述の研究家・山田敦夫先生の講演会を拝聴しつつ、もう一度ミュージアムを訪れる予定です。

もちろんまた上諏訪で一杯やってから帰ります!

以上、お付き合い頂きありがとうございました〜。

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