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『枕草子』の「草の花は〜」に草木染めと襲(かさね)を想う

今日は大河ドラマにかけてタイムリーな話題?『枕草子』の話を。

最近春の花があちらこちらで咲いていますね。

昨日は藤と桐の花を見ました。今日はモッコウバラやツツジ、あとアヤメも見た気がします。

こう言う時期は花を愛でたくなるもの。

ふと思い出すのは、平安時代きっての教養人女性、清少納言。

彼女の随筆『枕草子』は洗練された美意識の記録であると同時に、キャリアウーマンの書いた痛烈ながら軽快な読み物とも言えるでしょう。

サバサバしていて、後を引きづらず、はっきりとものを言う。それでいて強い個性と世界観の持ち主であった清少納言。

自分は清少納言のような女性に強い魅力と共感を覚えます。(けっこうタイプな女性かも笑)

彼女は多くの名文を残していますね。

今回はその中で草花を取り上げた第67段を一緒に見ていきましょう。

目的は季節の花とその色の鑑賞です。

ふむ、ただ鑑賞するだけでは面白うないので、今回は書斎より二冊のビジュアルブックを引用してみたいです。

かなり大型でレア、変わった本であります。


まずこちら。

草木染め作家の山崎青樹さん著の『草木染 日本の色百二十色』です。

山崎さんは長野県佐久市の生まれで、昭和を代表する草木染め作家として活躍されました。

こちらの本はシリーズもので、他にも型染や縞文様を取り上げたものがあります。

限定1200冊で、大きな特徴として山崎さんが染めた布が本に貼り付けられていること。

こちらの本では日本の伝統色120色を取り上げているので、120枚の布が貼られています。

そう、伝統色を取り上げていますから、平安時代にメジャーだった色の名前も出てくるのです。

ですから、該当する花の色についてこの本から布を探してみるのも面白いなぁと思います。

藤だったら藤色、みたいな具合に。

お値段は三万ほどしましたが、うちの宝物です。


こちらは襲(かさね)の本。

『王朝の彩飾』という本、というか見本帳です。

昭和45年発行という古さですが、この時代の本は出来が良いので構いません。

解説の本と、折り畳まれたボール紙が八枚ありまして、各ボール紙には襲を表す和紙が貼り付けられています。

襲ってのは想像がつきますでしょうか?

あの平安貴族が着ている狩衣や直衣といった衣服、その色合わせを「襲の色目」と言いまして、単に襲でもいいそう。

襲の色目は四季によって決まっており、色目ごとに名前がついていました。

例えば、「撫子」は夏の襲で、上から紅・萌葱・薄紫を着用するそう。

襲は高校の時に国語便覧でも見ましたが、いまいちイメージが出てきずらかったです。

それがこの見本帳では美しい和紙で立体的に襲が表現されているので、とっても親しみが湧いてきたのです。

是非この襲も紹介しながら、枕草子の「草の花は〜」を見ていきましょう。


弘前城址公園のお堀で見つけたカワラナデシコ

まずは最初の項。

初手は大和美人の代名詞、なでしこから。

草の花は、なでしこ。唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。

訳:「草花は、なでしこが良い。唐なでしこ(石竹)はいうまでもなく、大和なでしこ(河原なでしこ)も大層立派だ。」

私はなでしこが好きです。

やはり昔の人たち同様に美しい女性の面影を浮かべずにはいられないからです。

とりわけ花弁の先のほつれた感じが私は好き。ちょっと癖っ毛な女の子の毛先を思わせるので。

清少納言は日本のカワラナデシコよりも中国産のなでしこであるセキチクを上にあげています。

当時はなんでも中国(当時は北宋)の方が上でしたから、花も中国のものが上なのでしょう。

あとは単純に当時は「唐物」、つまり舶来品が希少であり、海の向こうからやってきたものは何でも好まれたから。


山崎さんの著書より、ご自身が染められた布の「薄色」

『草木染 日本の色百二十色』から、なでしこの色を探します。

桃染、紅梅色、桜色、とある中で、「朱華色(はねずいろ)」はとりわけ合っている気がしました。

こちらをなでしこの色といたします。

朱華色とは、奈良時代の名称。

『万葉集』で、大伴坂上郎女は

思はじと 言ひてものを 朱華色の 変ひやすき 我が心かも

と詠んでおり、朱華色は移ろいやすさの象徴としての意味があったよう。

朱華色はこの頃中国から渡来した紅花で染められ、一時期は最高位の染色ともなったそう。

平安時代になると朱華色は「薄色」と呼ばれるようになります。

「聴色(ゆるしいろ)」という同様の色の呼び名もあり、こちらは誰にでも着ることを許されたことからその名があるそう。

『枕草子』第200段には「薄色の宿直物着て、髪、いろに、こまごまとうるはしう」というフレーズもあります。

この言葉は野分、つまり秋の台風の翌日のこと。

十七・八歳の女性が雨風の仕業を趣深そうに眺めるのに対しかけられています。

台風なんて今はネガティブイメージしかありませんが、昔の人はそれすらも風雅。

その若い女性はなでしこのような薄色の衣服をまとっていたのですね。


「撫子」の襲の色目です。赤を基調にしながらも、下地は気品高い萌葱に薄紫。夏の襲です。

続いて、なでしこに続くお気に入りの草花が列挙されます。

をみなへし。桔梗。あさがほ。かるかや。菊。壷すみれ。

訳:「女郎花。桔梗。朝顔。刈萱。菊。壺菫。」

オミナエシは秋の七草です。

桔梗もそうですね。

朝顔。これはあの朝顔かというと、少し考える必要はあります。

朝顔、というのは朝咲いて夕には閉じる一日花のことを指します。

一日花というと、我々の親しい朝顔の他にはアオイ科の花々=ムクゲやフヨウ、タチアオイなどがあります。

ムクゲは平安時代初期にはもう大陸から到来しています。ただここでは草花の話をしておりムクゲは樹木なので、おそらくあの朝顔が正解かと。

朝顔は江戸時代に庶民の間で人気となり、今も入谷朝顔市には多くの朝顔を買い求める方々が訪れます。

あまり平安貴族が朝顔を愛好するイメージは湧きませんが、新奇な花を愛でたい彼らのことを思うと想像するのは難しくはないでしょう。

苅萱(かるかや)は茅葺き屋根の茅ですね。わたのような花を咲かせます。

菊は秋の野紺菊やヨメナをイメージすればいいでしょうか。今野生化している園芸種の小輪菊とは違いますので。

壺菫は普通にそこいらで見るスミレでしょう。文学ではあまりスミレは好まれないみたいです。ただ、襲の色目にもその名を冠したものがあります。


「女郎花」は秋の襲。黄色の表は朗々とした雰囲気、青も優しい色合い。
「槿」(あさがお)。縹色に縹色を重ねる渋い配色。下地の方が濃いんですね。秋の襲ですが、四季を通して着て良いそう。
「菊」です。秋の襲。橙よりも濃い蘇芳色が品高く、そこに白や萌葱が加わる…実際はどういう色に見えたのでしょう?


「壺菫」は春の襲。紫に薄青という組み合わせはまさにスミレ!

秋の花が多いですね、続いてはリンドウです。

龍膽は、枝ざしなどもむつかしけれど、こと花どものみな霜枯れたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。

訳:「りんどうは、枝の具合などもむさくるしいが、他の花たちがみな霜に枯れているのに、たいそう華やかな色合いで咲いているのは、たいそう趣きがある。」

リンドウ、私好きなんですよねー。

秋深まる時期にそれと呼応するように深い青の花を咲かせるリンドウ。

登山をすると見られるのが、背の高いオヤマノリンドウ、だいぶ高所に生息し日が当たると咲くミヤマリンドウ、春に咲く背の低いタテヤマリンドウ、そして北アルプスの2500mを超える稜線に咲く黄色いトウヤクリンドウ。

山のリンドウはバリエーション豊かです。

あと鎌倉の海蔵寺というお寺では、リンドウが苔の上で這うように咲く姿を見られます。(私はこれを「臥龍のリンドウ」と勝手に命名)

さて、リンドウの色は伝統色でいうと何色でしょうか。

それは縹色(はなだいろ)だと思います。

『草木染〜』の本では、三色の縹色がありまして、「浅縹色」「縹色」「深縹色」となってます。


「浅縹色」(あさきはなだいろ)

リンドウとはいっても色々な色あり。

同様に縹色にも色々。

まずは「浅縹色」。

これは春先に野に顔を出す、本当に小さなフデリンドウや北アルプスで七月に咲くタテヤマリンドウの色に似ています。

つまり、この縹色は私にとって春の色なのです。

「縹色」

はい、こちらは標準の「縹色」。

これがミヤマリンドウという高山植物の色合いを思わせます。

ミヤマリンドウは背が低く、曇っている時は閉じたパラソルのようにクルクル巻きになっています。

太陽に当たったらパラソルは開いてその星形の花を見ることができます。

正直ミヤマリンドウの咲いている姿を見られたら、相当ラッキーです。

相当高所の草地のしかない上、晴れた日にしか咲かないのですから。

といっても山小屋でバイトしていた時はけっこう裏の空き地で見つけることができましたよ。

「深縹色」(ふかきはなだいろ)

最後は「深縹色」。紺色とも言います。

リンドウは時間が経つとだんだん紫みが増してきます。

最初は綺麗な青だったのが、劣化によってそういう色合いに変じているのでしょう。

それもまたよし。

山野ではオヤマノリンドウという、割りによく見るリンドウが咲いています。

背が高くて、葉っぱが尖っている種類です。

清少納言はそういったリンドウの笹のような葉先も含めて「むつかし」(ムサい)と言ったのかもしれません。

うーん、納言ちゃんと登山デートしてミヤマリンドウを見せてあげたかった笑


秋の襲、「竜胆」。濃縹色に紫という濃いめ配色。

お次はまたしても「唐物」、葉鶏頭です。

また、わざととりたてて人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花らうたげなり。名もうたてあなる。雁の来る花とぞ文字には書きたる。

訳:「また、わざわざ取り立てて人間扱いはできそうにない恰好だが、葉鶏頭の花は可愛らしい。名も見苦しくあるようだ。雁の来る花と、文字には書かれる。」

かまつか、とは今ではバラ科の落葉樹を表すようです。

ただカマツカは樹木であり、今回の話題は草花ですから。

この「かまつか」が表す花は、どうやら今でも園芸植物として人気な葉鶏頭のことだそう。

平安時代にもうあったとはビックリ!

葉鶏頭は原色めいた黄色や赤、緑、紫の色合いが葉っぱに見られる風変わりな草花。

どうやら納言ちゃんはエキセントリックな草花がお好きなよう。

珍奇なものがお好きなのは日本人の変わらぬ心なのか…。

でも「かまつか」って名前は「うたて」(ガッカリ)なのね、そこはっきり言っちゃうんだ。


次の一行はちょっと現代では難解。

かにひの花、色は濃からねど、藤の花といとよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。

訳:「「かにひ」の花は、いろは濃くないが、藤の花とたいそうよく似て、春と秋両方に咲くというのも趣深いことだ。」

「かにい」とは、どうやら「ガンピ」を指すよう。

ガンピといえば、高山植物に「センジュガンピ」という花があるように、ナデシコ系のお花である仙翁(センノウ)を表します。

センノウのお花はナデシコに似ますが、いわゆる「赤色」をしており、カーネーションに色合いとしては近い気がします。

そしてその色が「藤の花」とよく似ていると納言は言います。

ん?全然似てないぞ。

藤は紫、仙翁は赤、ですから。

そうなると、藤は「ふし」ではないかとされます。

この「ふし」もよく分からんのですが、私は思い当たる「ふし」がございまして。

センノウの仲間に「フシグロセンノウ」という花があります。

センノウと色合いは似ているのですが、もっとオレンジっぽいです。

その「フシグロセンノウ」のことを「ふし」と呼んでいるのかな、と。

うーむ、多分違うでしょうね。

でもセンノウの話がしたいので、無理矢理そういうことにしておきましょう!(強引)


「赤白橡」(あかしろつるばみ)

是非センノウとフシグロセンノウ、ググって見て下さい。

ナデシコっぽい雰囲気ですが、どちらも色合いが異なります。センノウは花弁の先が裂けていますが、フシグロセンノウは円を描きます。

まずはセンノウから。

これは「橡」(つるばみ)の色に似ます。

「橡」とは栃の木のことです。

都会に行くと街路樹としてマロニエの木が植っており、五月になると赤茶色の花を咲かせます。

栃の木はマロニエほど派手ではありませんで、上の「赤白橡」の草木染めがまさしくそんな感じ。

センノウの花は情熱的に赤く、ナデシコの古名である「常夏」も似合いそう。

清少納言は第一にナデシコを草花に挙げましたが、本心としてはこの定石を外したセンノウの方が好きだったかも。

「黄丹」(おうたん)

もう一つのセンノウ、「フシグロセンノウ」。

センノウよりも色も形も通好みな風情をしておりまして。

丸みを帯びた小さな花を二、三輪つける様は奥ゆかしい。

だいぶ山のほうに行かないと見られないので納言ちゃんは知らないかな。

ちなみに黄丹色は大変高貴な色でした。

昇る太陽を表し、皇太子のみが着用を許されたようです。

派手な色ではなく地味そうな色が「絶対禁色」(一般人は使用禁止の色)だったなんて、古人と我々の美意識の隔たりを感じます。


またしても秋花、萩でございます。

萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれてなよなよとひろごりふしたる、さ牡鹿のわきて立ち馴らすらんも、心ことなり。八重山吹。

訳:「萩は、たいそう色鮮やかに、枝しなやかに咲いているが、朝露に濡れてなよなよとひろがり伏しているのは、牡鹿がとりわけて立ち馴らすというのも格別の感じだ。八重山吹。」

萩、私も好き!

萩は散り方が美しいです。(桜もそうですが)

小さな無数の花が雨風に負けて地に落ちる様。

そして秋がまた深まってゆく。

彼岸花が来て、萩が来て、金木犀が来て、10月になり…。

ただ清少納言が見た萩はおそらく「ヤマハギ」。

今我々が見る枝垂れた萩よりも小ぶりです。

私も実見したことがないので、万葉植物園なんか見てみたいと思います。


「山吹」は春の襲。渋い朽葉色が基調で、そこに黄色が加わります。
「萩」は秋の襲です。紫よりも明るい濃蘇芳色に紫と萌葱が加わります。

次は『源氏物語』にもその名を冠した女性が登場する、夕顔。

夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、いひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそ、いとくちをしけれ。などさはた生ひ出でけん。ぬかづきなどといふもののやうにだにあれかし。されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし。しもつけの花。葦の花。

訳:「夕顔は、花の形も朝顔に似て、朝顔夕顔と続けてよぶと、いかにも面白そうな花の姿に対して、実の様子は、大変残念だ。何でまたそう不恰好に生まれついたのだろう。せめてほうずきなどの大きさであればよいのにね。しかし、また夕顔という名ばかりは趣がある。しもつけの花。葦の花。」

夕顔はその名の通り、夕方に大きな白い朝顔みたいな花を咲かせる草花。

昔よく鎌倉を歩いていた時、東慶寺の門前に黒塗りの古民家があって、そこの店先の花壇に夕顔が植えられていました。

夏になると蔦が伸びて白い花が咲いていましたが、何せ夕方に咲く花なので私の行く午前中にはしたを向いた状態。

滅多に咲いているところを見ませんでした。

実の方もあまり見たことがなくて、ググったら中々これが納言ちゃんの悪口通りで。

フェルナンド・ボテロという最近亡くなった南米の画家がいるんですが、その人の描く人間の絵そっくりにブヨブヨしてますね、夕顔の実って奴は。

勝手に夕顔の実は瓢箪みたいに風雅があると思い込んでいた自分が恥ずかしい笑

で、夕顔の花は白ですね、白の草木染めもあるのだろうかと思って、百二十色の中から探してみました。

ありませんでした…。

多分元の布が白だからなのでしょう。

でも白色に対する考察や解説を山崎さんにしてもらいたかったですね。

これは私の宿題としましょうか。


仕方ないので明治の浮世絵師・月岡芳年の「月百姿」シリーズより、「源氏夕顔巻」を。

この絵にもあるように夕顔はけっこうでかいです。あ、花の方。

東慶寺門前の夕顔も蔦が人の背丈より高く、それでもまだ伸びようとしてましたから。葛と似てますね。



最後の項です。

こちらではススキに対する清少納言の見方がかなり長く述べられております。

これに薄を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂さきの蘇枋にいと濃きが、朝霧にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋のはてぞ、いと見どころなき。色々にみだれ咲きたりし花の、かたちもなく散りたるに、冬の末まで、かしらのいとしろくおほどれたるも知らず、むかし思ひ出顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。

訳:「以上、この段にすすきを入れないのははなはだ、けしからんと人は言うようだ。秋の野原の全体的なおもしろさは、何といっても薄だ。穂先の蘇枋色で大層濃いのが、朝露に濡れてたなびいているのは、それほどの風情が他にあろうか。秋の終り方こそ、それは見がいがない。色とりどりに咲き乱れていた花が、跡形もなく散ってしまったあとに、冬の末まで、頭がとても白く乱れ広がったのにも気づかず、昔を思ったかのように風になびいて立っているのは、人にたいへん似ているものだ。誰かによそえる気持があるので、特にあわれと思うのだろう。」

ススキの新たな美の発見者、清少納言の言です。

上記の納言ちゃんの言っていることは、

「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」

という有名すぎる『新古今』の定家の和歌からはそう隔たらないでしょう。

しかし定家よりも100年以上前に秋の暮れの侘しさについて叙述する清少納言の先見性と美意識には驚かされます。

この秋の終わりのススキの風情、江戸時代では「枯尾花」といってグレートハイカー(偉大なる俳人)たちにもてはやされています。特に蕪村とか好きですね。

さて、上の文章には一つ、色の名前が出てきますね。

「蘇芳色」(すおういろ)。

どんな色なのでしょうか?


「蘇芳色」

忘れられた日本の色、蘇芳色です。

赤茶色よりももっと濃く、しかし茶色味がかってもいないという、微妙なニュアンスの色ですね。

奈良時代から衣服令にその名が使われていますが、流行したのは平安時代。

土佐日記
「かひのいろはすはうに」
濃蘇芳のしたの御袴に」

源氏物語
「秋の野のおしなべたるをかしきは薄こそあれ。穂さきの蘇芳にいと濃きが、朝霧にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。」
「紫檀のはこに、蘇芳の花足」
「紫の上には、葡萄染にやあらむ、色濃き小袿、薄蘇芳の細長に」

紫式部日記
「上はしろく、青きがうへをば蘇芳、ひとへは青きもあり。上うす蘇芳、つぎつぎ濃き蘇芳、なかに、白きまぜたるも、」

などなど、枚挙にいとま無く使われていることからも、そのもてはやされぶりが分かるでしょう。

しかも服にだけでなく、貝や薄、花足といった様々なものの色を指す言葉として使われているくらい一般的でした。

それが鎌倉時代には廃れ、わずかに江戸時代には「黒紅色」という名で使われるに留まりました。

色の流行廃れってあるものですね。

是非「蘇芳色」という忘れられた色、覚えておいてくださいね。

「薄」ではなく「尾花」の名でありました、襲の色目。秋です。白に縹色というシックな色合い。

平安王朝の花と色の世界、いかがでしたでしょうか。

伝統色と襲、実に面白い世界でしょう?

私は『枕草子』に関しては全然門外漢ですが、そこに出てくる文物には本当に興味があります。

唐物としての花のお話もしましたが、平安時代にも中国との文物の交流はあり、『枕草子』にはそれらの面影も見出せます。

花や色を通じていにしへの世界に想いを馳せるのは楽しいことですね。

宜しかったらまた遊びに行きましょう♪

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