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旅が世界を広げてくれる。10年の時を超えても色褪せないインド旅。

今までの旅の中で一番記憶に残っている旅といえば?
私は間違いなく、インドと答える。

後にも先にも、こんなにガラッと価値観が変わった旅はなかった。
2012年1月に旅をしてから10年たった今も、色褪せずに記憶している。
忘れられない私のインド旅を紹介したい。


イレギュラーな旅のはじまり

大学4年生のとき、複数の友人から「インドに行ったら価値観が変わった」と聞き、社会人になる前に行こうと決めた。

「危ないでしょう!やめときなさい!」
卒業旅行に行きたいと話すも、案の定、母に反対された。

「インドに詳しい友人と行くから大丈夫、危ないところには行かないよ」、と説得を試みるも聞き入れてもらえず。

交渉が平行線をたどるある日、母からまさかの返答が。
「ママと一緒に行くならインドに行ってもいいよ。」

当初は私を引き止めようと、叔父や祖母も味方につけようとした母。

ところが、祖母と叔父からの返答は、
「インドはすごいいいらしいねぇ」という思いもかけないものだった。

ここで私に行くなと言えば、母自身も行くチャンスを失ってしまうかもしれない。
そう考えた母の折衷案が、「母娘でインドに行くならOK」。

なんと自分勝手な、と思ったが、私だって行けなくなるのは嫌だ。
友人と行く予定が、母娘ふたり旅に変わった。

これまでにない入念な旅の準備

当時の私はヨーロッパやアメリカなどの先進国しか訪れたことがなく、インドは完全に未知なる世界だった。

いつもはガイドブックを買って、パラパラと読むくらいなのだが、
今回は、インドにまつわる映画を事前に観てから行くことにした。

一作目は、「スラムドッグ$ミリオネア」。
スラム街で育った少年が、クイズミリオネアに出演。ひょんなことから彼の壮絶な人生が語られていき、、、というストーリー。
壮絶な少年の人生が痛々しくもあるが、ディープなインドの世界を知るにはもってこいの映画だ。

二作目は、「ガンジス川でバタフライ」。
20歳の女性が、長年夢見ていた海外一人旅としてインドに行く、というストーリー。
この女性がガンジス川を泳ぐ場面があるのだが、ぶつかった人が、なんと死体だった、という衝撃の展開。
ガンジス川で本当に死体が流れてきたらどうしよう、、、と一人ドキドキしていた。

その他、友人からアドバイスをもらい、腹痛の薬と、日本食が恋しくなった時用のインスタント食品とお菓子を持参。

これ以上ないくらい準備万端にして、いざ出発した。

到着したのは別世界だった

現地の空港に到着したのは深夜のこと。
降り立った瞬間から、日本との違いを感じる。

なんだ、このモヤっとした空気は。
黄色い照明が、尚更モヤモヤを引き立てて神秘的というのか、空気が澱んでいるのか、日本とはまったく異なる雰囲気を醸し出している。

空港を出てすぐのバス乗り場で、野良犬がお出迎え。
「大丈夫とは思いますが、噛まれないように注意してくださいねー」
噛まれて何か病気をもらって、旅から早々離脱したくない。

黄色い空気、お迎えの野良犬に早速たじろぐ

インドを事前リサーチしまくるあまり、極度の心配性になっていた私は、急いでバスに飛び乗った。

常識が通用すると思ってはいけない

翌日、バス移動中に出会った、幼稚園?学校?の送迎バス。
かわいい子どもたちの笑顔に癒される。
この後、子どもたちを乗せた送迎バスが、高速道路を猛スピードで逆走していった。

この後、高速道路を逆走するバス

「我々は観光バスですからルールを守りますが、この国では、ルールはあってないようなもんですからねー」
いやいや、事故に遭ったらどうするの、怖すぎる。

無邪気な子どもたちが、何も知らずに笑っているのも恐ろしい。

「なるようになるさ」精神で受け流すしかない

ヒンドゥー教徒の多いインドでは、牛が神聖とされており、牛が野良犬と同じように道を歩いている。
せまい道で牛と我々観光客がすれ違う。
私たちが通り過ぎた直後。

ボチャボチャボチャボチャっ。
「うわぁぁぁ!」

牛のフンが滝のように地面に流れ落ち、すぐ後ろを歩いていたおじさんの真っ白なズボンに、見事に跳ねた。

牛を避けて歩く人たち

「新年早々運がつきましたねー。前向きに行きましょう」、とガイドさん。

明日からは絶対に汚れてもいい服で歩こう。
いや、インドに来たからには、この程度のことは笑って受け流すしかないのかもしれない。 

礼拝という名の熱狂


続いてバラナシへ。そう、映画で予習したガンジス川。
1日目の夜のお祈りと、2日目の朝の日の出と沐浴、2回訪れた。

ガンジス川では、毎晩、毎朝礼拝が行われる。
「プージャ」または「アールティ」と呼ばれているが、想像以上に規模が大きい。

夜6時ごろだったか。
ロウソクを一人一個持って、10人乗りくらいのボートに乗る。
川の中はボートだらけ。
観光船だけでなく、お土産物を売るボートも多く賑わっている。

ガンジス川には多くの沐浴場があるが、その中でも特に賑わう「ダシャーシュワメード・ガート」という沐浴場付近で見学。

お祈りといえば、黙祷のような静かなものを想像していた。
しかし、実際は大勢の人が集まり、大声や音楽が鳴り響く。

もはや盛大なお祭りだ。これが毎晩開催されるなんて、なんてパワフルな。
寒い夜空の下、寒さを感じさせない不思議な空気。インドという国の熱気を味わった。

固定概念がひっくり返る早朝のティータイム

翌朝、4時頃にボートに乗って出発。

途中、チャイの屋台に立ち寄った。
おじさんが小さな茶色の土器に、熱々のチャイを注いでくれる。

「飲み物は蓋の空いていないペットボトルか、ホテルのものしか飲まない。他はお腹を壊すかもしれないので避ける。」
出発前に母と心に決めてきた。
屋台で飲んで、お腹を壊してしまったらどうしよう。

心の声が聞こえたのか、ガイドさんが、
「ここのチャイはよく煮てあるから安心です。
食器は使い捨てなので、飲み終わったらその辺に捨ててくださーい」

この土器捨てるの?しかもゴミ箱じゃなくて地面?割れるよ?
周りを見ると、確かに割れた土器の破片がそこらじゅうに散らばっていた。
一見もったいなさそうだが、使い捨ての方が清潔だし、土に還るから環境にも優しい。

「食器イコール何度も使う、割ってはいけない」と当たり前に思っていたことが、当たり前じゃなかった。
しかも合理的でサステナブル。目から鱗だった。

チャイを注いでくれたおじさんと土器を持つ男性

人々の暮らしを穏やかに包み込む、母なる川

話は戻って、いざボートに乗って川の中腹へ。
朝靄の中、点々と浮かぶボートたち。

街の人は、沐浴をしたり、洗濯したり、お祈りしたり、ただ沿岸に座ったり。
昨夜の動的な雰囲気とは打って変わって、落ち着き払った静寂のガンジス川。

ガンジス川で身を清めれば全ての罪が洗い流されるというが、本当に何もかも包み込んでくれそうな母なる川の雄大さに、畏れ多い気持ちになった。

早朝に沐浴する人々

「ガンジス川の水は腐らない」とされており、水を持って帰るための容器が売られていた。
これだけたくさんの人が日常的に使っている水。
試したい気もしたが、衛生的に少し心配だから、やめておく。

そういえば、「ガンジス川でバタフライ」のように、万が一にも死体が流れてきたらどうしようかと一人ドキドキしていたが、朝も夜も、川の水が濁っていてなにも見えなかった。
とりあえず一安心。


広い世界を知らずに育つかもしれない子どもたち

田舎道をバスが走る。
ちょうど学校の前を通りかかる。
運動場であそぶ子ども達が、走りながら大きく手を振ってくれる。

「この辺りに住む子たちにとって、この町は全てなんですよね。
まだこの辺りは電気も通ってません。テレビもない。
観光バスは遠くから来たお客さんを乗せた最新のバス。
バスを見られることがとても嬉しいんです。
もしかしたらこの子たちは、外の世界を知らずに人生を終えるかもしれないですね。

いつもは楽天的なガイドさんが、めずらしく感慨深げに話した言葉。
子どもたちの笑顔とガイドさんの言葉を思い浮かべながら、長いバスの移動時間は過ぎていった。

バスに手を振ってくれる子どもたち


旅が価値観をアップデートしてくれる

私にとって、この旅は特別だった。
10年経っても、ほぼ記憶を頼りにこの記事を書けてしまうくらいに強烈に印象に残っていたので、自分でも驚いた。
一方、観光地や食べた料理の記憶は薄く、アルバムを見てなんとか記憶を呼び戻した。

この旅で気づいたのは、観光スポットを訪れるだけが旅ではないということ。
私にとってこれまでの旅は、「憧れの場所を訪ねたい」「美味しいご飯が食べたい」という目的がメインだった。

しかし今回の旅は、「価値観を変えたい」という目的から始まり、観光地だけではなく、車窓から見える街並み、現地の人々の生活、空気感、得られるものはすべて吸収しに行った。
だから他の旅よりも鮮明に覚えているし、いまだに忘れられない旅になっている。


そして、なんでも大きな心で受け入れられるようになった。
旅をする前に悩んでいたことが、ほんとにちっぽけで、どうでもよくなったから不思議だ。

あと、学校を通り過ぎたときのガイドさんの言葉が、いまだに忘れられない。
私はテレビやネットを使えば、いつだって、望めばどんな世界とも繋がることができる。

恵まれた環境にいる幸せを噛み締めているだろうか。
貪欲に、一生懸命に、人生を楽しんでいるだろうか。

自問自答する度に思い出す。


「10年後、20年後にまた同じルートで旅したいね。
きっと全然違う国になってると思うよ。」
当時約束した母は祖母になり、私は母になって、生活も大きく変化した。

インド自体も大きく変わっているだろうが、歳を重ねて、豊かな経験を重ねて訪れるインドは、また違った価値観をもたらしてくれるだろう。

あのとき出会った子どもたちの住む世界も広がって、どうか彼らも人生を満喫していますように。

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