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夕方の公園で、ひとり逆向きに歩く

最近、自分が普通だと思っている事を疑う練習をしています。考え方・視点が変わると自分にかかっているブロックが更に外れていくのではないかという目論見。。私の友人でいつも物事を良い意味で疑い、多面的に捉える人がいます。もう、全然考え付かない様な方向に話が転換していく時があるのでいつも「すげ~」と感心してしまいます。

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灰色の空の下、切り立った崖にひとり立ちすくんでいる人間がいました。
眼の前に拡がる海原を見つめる視線の先は
いつもはるか遠くに見える光の粒でした。
その人間は眼鏡をかけていました。
レンズの片方は透明ですが、もう片方はいつもくもりがかかっています。
その人間はいつも考えていました。
「自分には見えていない光の粒が
この世にはたくさんあるのではないだろうか?」
しかしその眼鏡は人間の体の一部でありはずす事ができませんでした。
ただただ、とおりぬけていく風を感じながら両方の眼に映る光の粒を追いかけているのでした。

これは2年ほど前に制作した蛇腹タイプの本です。超ショートストーリー(上記文↑)とドローイングが添えてあります。この当時の私の頭にいっつもこんな感じのイメージが纏わりついてました。崖の上、灰色の風景、かたっぽだけはまった眼鏡。

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これは制作時のスケッチ↑

というか、この超ショートストーリー、だいぶ自分にブロックかけていますよね?と今になって思う。片方しか見えない眼鏡かけてしかもはずせないなんてさ!どんだけブレーキ掛けてんのとつっこみどころ満載(笑)当時の自分には問題提起の意味も込めていたんだろうな。。と振り返る2020。

つまり当時も今も視点を転換したいと思っている訳ですが、逆に考えたり、疑ってみたり、色々できますけど、もし判らなくなったら植物とか自然を観察した方が良いのかもしれないと最近はよく思います。人の意見や主張、感情は移ろうものだけど、植物は自然界の法則や合理性に基づきながらただただ生きている。それ以上のものってないんじゃないかなと思ったりもします。

上の葉っぱを刈りいれる事で下の葉っぱが伸びてくる現象、なんだか会社組織の縮図を見ているみたいだな。とよく思う。先輩がやりすぎちゃうと後輩が育たないとゆう(ん?まてよ、これこそが思いこみなのだろうか?)

後は循環できる環境を整える事。これをやる事によって風通しが良くなり新しいアイデアがびゅんびゅん吹き込んでくるような気がします。

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昨日そんな事を考えながら少し涼しくなった夕方の住宅街を散歩していたら、幅は狭いけど縦に長い見晴らしの良い公園を発見。周りには誰もいない。。これはチャンス!と思ってやっちゃいましたよ。逆向きに歩く!これやったの中学校以来?もしくは部活のトレーニングでやってたような。。逆向きに歩いたら何か判るかと思ったんですけど。まずは身体からね~。

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