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地上0.5cmの溝をじわじわ埋める

朝の公園の中でストレッチや呼吸を整えるワークを行ってみた。

家の近所は割と早朝から工事が常に行われていて自然音がかき消されている傾向があるのだけど、公園は広く、木々のざわめきや鳥の鳴き声がするすると入ってくるし、身体の緩みも早いような気がした。

身体に手をあてると‘’反応‘’というものがある。

お腹に手をあてるとグルグルとかきゅるるという音を立てて腸の中をガスが悠々と通っていく事もある。

自分の身体なのに何故にこんなにも近くて遠い存在なのだろう。

いつも自分の事は他者を通して強くあぶり出されるし、わかっていたつもりでわかっていなかった事を大人になって知ることが多い。もしかしたら死ぬまで気付かない事もあるのかもしれない。

そして起きもしない未来に怯える想像力は長けているのに相手を慮る想像力に関しては何故に乏しいのだろうとも思う。

遠い未来の計画をするのはとてもスリリングで楽しい行為。

けれど、そこに縛られすぎると地上0.5cmに浮いている綱の上を歩いている感覚があり、対応しきれずまた地上に振り戻される事がしばしばある。

でもその地上でのワークをひとつひとつ進めていく事で茎が育ち風雨でえぐられても土寄せをして地上とその0.5cmの境目がじわりじわりと距離を縮めていくのではないかとも思う。

答えは今このときにしかなく、何をこんなこと。。という些細な行為、言葉がその茎を太くしてしなやかに、どんな強風にも耐えうる身体を作ってくれるのではないか。

何かにモヤモヤしているとき、それは身近な事をクリア出来ていないから喉に魚の小骨が引っ掛かっているような違和感を感じる。でもその小骨は不幸中の幸い、ラッキーボーン。

何を見つめるべきか、改めて省みるチャンスなのです。


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