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繋がりに水が流れて、野山は春を迎える

「きっと風の要素、それは繋がりを大事にするとか、そういう事を大事にしてきたからその辺が安定しているのではないですか?」

この様な事を先日、四大元素やアロマを使用してカウンセリングしている友人に言われた。

「そして水の要素も強いので自然や動物に触れること、何より繋がりを大事にする事によって疲れてしまうこともあるから一人になれる時間を大事に、そしてよく眠ること」


彼女は今そのカウンセリング業を行うために準備段階で私はそのお手伝いを少しすることになりカウンセリングをテスト的に行ってもらったのだが、この他者から受け取る言葉というのはなかなかに心に留まり自分の事を大きく変えたり再認識するきっかけにもなるような気がしている。


確かにここ何年かは意識的なのか無意識的なのか、繋がりというものを大事に育ててきたように思う。その結果、気のおけない仲間が増え、彼らと時間を共有する事によって安心感という毛布に包まれている気がする。

ただその一方で、安心感に包まれて自分を肯定してくれる仲間の中にだけいるという事は一方では自分を見失ってしまう危険も孕んでいるという事でもある。水がだんだん濁ってくるように、入れ替えをしたり流したりするために新しい交流関係が生まれると言うこともある。

どっちも大事だなあ


なんだか収拾がつかない出だしとなった今回の投稿ですが、2023年の終わり位から「人と人との繋がり」という事をよく考えるようになったと思う。

どれだけお金があっても、良いものを変えても、家や土地を持っていたとしてもそこにそこはかとない人間関係があることによって人は強くなれるのではないかと私は思っている。


昨日「ゴールデンカムイ」を観たのですがめちゃくちゃ面白くて、また、グッと泣きそうになる場面があった。観終わった後に「なんで人は生きていくのだろう?」と言う一生答えが出てこないような問いが出てきた。


家に帰って棚にふと眼をやったら借りていてまだ読んでいなかった本「生きるとは、自分の物語をつくること」という本が眼に留まって答えを頂いたかのような気分😂

今の時代はゴールデンカムイの様な時代ではないし、その時代と比較するとある点では生きやすい時代なのだろう。しかし、現代が失ったものもありそれが生きにくさの引き金になっているとも思う。

劇中の中で主人公は「また生き延びてしまった」と呟く。薄命の時代にそれは稀有な存在なのかもしれない。けれど、生き延びることによってみなければいけないこの世の地獄だとかやらなければならないことだとか、いろんなことがある。

私は高校生の時に父を亡くしているのだけれど、その時に周りの大人たちから「早く逝ってしまった人は大切な何かを伝える為にそうなったのだよ」といった事を言われた。

そうなのかなあとその答えはよくわからないが、自分の人生の割と早い段階で考える要素をくれた事には変わらないのだと思う。


自分もここ近年では大病をしたりして改めて生きるとは、という問いと向き合った期間でもあった。これからの人生で考えは都度更新されていくとは思うが、今の私は良い意味で「どうなっても自分にオーライを出す」と思える様になった。

私は大病後、常に不安と恐怖に支配されていて検査の日が近づくたびに本当に胃が捩れる程だった。けれど、それが限界点に達したのか昨年末にプツッと糸が切れた様に言葉を失って過ごしていた期間があった。そんなに大袈裟なものではないけれどこのnoteもSNSも更新しない、そんな程度です。

でもその時に、こんなにありもしない事で不安に駆られて自分を苦しめるのなら直前に悩め、もしくはどんな事になっても自分は大丈夫、幸せなのだとGOサインを出せるようになれよと強く思った。

どうなっても良い、と言うと投げやりな感じが少ししてしまうけれどそうではなくて、自分の事は日々の中で大事にケアをするけれど、そこに結果を求めないという事です。

これはどんな事にも言える事ではないかと、思う。

もちろん結果は大事だし良い結果だったらそれはそれは嬉しいです。けれど、結果が良くてもそのプロセスが中身のないものだったらどうなのだろう…そのちょっとした虚無と空白はその後の未来を脅かすものと変わるような気もする。


話は最初に戻りますが、そんなただただ生きていく、と言うプロセスの中で他者の存在が起こすミラクルだったり温かさだったり、自分以外の登場人物が出てくる物語が後々の自分の支えとなってくるのかもしれない。だから繋がりとか、あれこれいろんな事を考えている最近なのかもしれない。

そして繋がりの中で生きるには、自分の意思をきっちり持つという事が問われていると思う。意思がなければその繋がりにただただ依存するだけで、相手の物語を生きてしまう事になる。いわば一生脇役で終わってしまうという事だ。


今期のドラマ「春になったら」、最初から泣かせる場面ばかりで最終回にはどうなってしまうのかと思った。第二話でノリさん演じるお父さんが放つ台詞「俺はがん患者にはなりたくないんだ、死ぬまでお前の父親でいたいんだ」(この様な類の台詞でした。正確には今記せず。スミマセン)

私はただただノリさんにタブレット越しにエールを送っていた。

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