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しない執着

何回も思い出してしまう漫画のセリフがある。

俺が...見てきた奴ら...みんなそうだった...。酒だったり...女だったり...神様だったりもする。一族...王様...夢...子供...力...みんな何かに酔っ払ってねぇとやってらんなかったんだな...。みんな...何かの奴隷だった...あいつでさえも...。

進撃の巨人

これは『進撃の巨人』のケニーアッカーマンのセリフである。このセリフを見た時何か人間の本質の一部を知れた気がした。「何かに酔っ払ってねぇとやってられない」とは自覚的なのだろうか、それとも無自覚的なのだろうか。生きる理由とは何かの奴隷のなることなのかと考えた。

自分は、この「何かの奴隷になってしまうこと」が怖かった。知らず知らずにそれを執着してして気付かずにいる状態になってしまうのが嫌だった。そしてお坊さんが書いた自己啓発系の本を何冊も読んだ。"受け流す"、"反応しない"、"整う"、"持たない"、"掃除"、”水回り”などそういった類の本を読んでは実践し、うまくいっていることに気持ちよくなっていた。自分は執着していることはない。身軽である、そんな自分を心の中で誇っていた。けれども、自分は「”執着しない”ということに酔っ払っている」のではないかと考えるようになった。"執着しないことに執着している"この言葉が頭の中に浮かんできた時、「執着」という言葉に自分が奴隷になっていたことに気づいた。「しない執着」からの解放中である。まだここまでしか書けない。 最近は”誠実”、”寛容”という言葉が視界に入ってきている。この言葉ともにこの現実を生きていく。


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