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汽車と電車

新幹線に乗り込んで座席に座り、やがて動き出す景色を眺めていると自動音声の案内が流れて来る。
「この電車は、のぞみ号、東京行きです」
べつに何の間違いも失礼もないけれど、このフレーズを聞くと毎回違和感を覚えてしまう。「ああ、新幹線って電車なんだ」と。

子供の頃、東京に住んでいた。
車を持たなかったわたしの家はバスと電車が日常の足で、西武線や山手線や中央線。地下鉄にも良く乗った。それらは紛れもなく電車だった。
でも長野の祖父宅を訊ねるとき、母は上野駅から乗り込んだ急行を「汽車」と呼んだ。すでに蒸気機関車は過去の乗り物であったけど、郷里に向かう電車は汽車であり、山手線とは明確に区別していたように思えた。

わたしは汽車とは呼ばなかったけど電車とも言えず、それを列車と呼んでいたような気がする。当時の国鉄では特急や急行を「列車」とアナウンスしていたと思う。山手線には電車しか来ないけど、上野駅から東北や上信越に向かう特急には機関車がけん引するブルートレインもあった時代で、一律に電車と呼べなかった事情かもしれない。
なんにせよ、わたしの記憶には長距離特急は「列車」であるという定義がインプットされてしまったのだ。

わたしの常識では新幹線は電車じゃない。駅弁を食べながら長い時間をかけて非日常の世界へ連れて行ってくれる新幹線はワクワクさせるような、山手線なんかより格上の「列車」でなければならないと思う。
これが違和感の正体だ。

ところが仕事の出張やらライブの遠征やら、月に何度も新幹線に乗っているとワクワク感はいつの間にか消失してしまう。ネットでサッと予約して、いつものsuicaでピッと改札を抜けて、座席に着くなり居眠りしてしまえば、山手線も新幹線も大差なかった。

なるほど、やっぱり今の新幹線は電車なのかもしれない。
言葉のイメージだけに囚われている。












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