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第二十話 柔道部物語②

中学二年の夏の大会が終わった。先輩たちは惜しくも準優勝だった。全国大会は優勝校のみだったので、先輩たちは引退となり私達の代になった。

秋の新人戦に向けての練習はすぐに始まっていた。新部長のしょうちゃんつよしはポイントゲッターとして、レギュラーは確定していた。団体戦は五人で戦うので残り三枠をみんなが狙っていた。自然と練習にも集中できた。

実力だけで考えれば、私がレギュラーになってもおかしくはなかったが、団体戦ならではの作戦もあり(団体戦は階級が関係ないので)、実力差がさほどない場合には、重量級の選手をレギュラーにすることはよくあることだった。

短期間に練習試合がたくさん組まれ、全員に試合に出るチャンスが与えられる。そこで結果を出したり、いい内容を残さなければならない。秋に入った9月、練習後に顧問の先生からレギュラーの発表があった。残りの三枠には私とてっちゃんと、幼稚園の頃から道場に通っていた一年生が入った。

余談ではあるが、くみちゃんとは付き合わなかったものの身体の関係だけは続いておりレギュラー入りを喜んでくれた。

新人戦の結果は地区大会は、団体優勝、個人5位、県大会では団体3位、個人ベスト8だった。歴代の先輩たちの結果と比較すると納得できる結果ではなかった。

それからは練習もよりハードになり、自主練も筋トレも今までの倍に増やし、タバコの本数は減らし、さっちゃんとのシンナー遊びも控えるようになった。

新人戦の後、部活とは関係ない事で怪我をしてしまってしばらくの間練習に参加できなかった。その間ひたすら筋トレをして体重を増やした。(個人戦の計量前には減量が必要になるので結構きつい)

秋・冬とひたすらに練習し、私は三年生になった。春の大会も無事レギュラーに選ばれた。結果は地区大会、団体準優勝、個人3位、県大会は団体3位、個人ベスト16に終わった。ライバル校が重量級揃いという状況もあり、大会の後、最後の大会は補欠に回ってくれと顧問から言われた。ショックというか喪失感がすさまじかった。もちろん体重別の個人戦には出るのだが、モチベーションがなくなっていた。

私は練習に出る日数も減っていった。朝練は行くのをやめ、放課後の練習にも全く身が入っていなかった。帰宅部のやまちゃんとよく遊ぶようになり、私の家でタバコを吸って、シンナー吸って、小遣いを出し合ってマリファナ買って、ゲーセンに行っては、生意気そうなやつと喧嘩をした。(柔道経験者は意外と喧嘩が強い)私は段々と自分がダメになっているのを感じていたが、感情をコントロールすることが出来なくなっていた。

最後の夏の大会、地区大会は団体優勝、個人5位、県大会は団体準優勝、個人一回戦負けだった。私の中学での柔道部物語はこれで終わった。今思えば腐らずに最後まで頑張ればよかったとの後悔が強い。このころから心の弱い人間だった自分を恥ずかしく思う。

今回で二年半の部活動編は完結です。自分なりには頑張っていましたが、最後の最後に汚点を残してしまったような二年半でした。

次回はレギュラーを外され荒んでいた数か月間を掘り下げて書こうと思います。

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次回に続く

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