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聖ユッタは聖ヒルデガルトの師匠!?謎に包まれるユッタの生い立ちを追う 𝕳𝖎𝖑𝖉𝖊𝖌𝖆𝖗𝖙𝖊𝖓 𝕹𝖔𝖙𝖊

ディシボーデンベルクの聖ユッタは、“ユッタ・フォン・シュポンハイム”としても知られているが、かなり謎めいた人物であり、伝記は書かれていないと言われています。

ユッタは、〈従姉妹であった偉大な神秘主義者ヒルデガルト・フォン・ビンゲンに影響を与えた〉ことで記憶されています。

『聖ユッタの存在があっての聖ヒルデガルトが存在したのだ』と思うと、ユッタ・フォン・シュポンハイムの軌跡を辿らざる得ないと感じています。しかし、ユッタに関する文献はかなり少なく謎に包まれていると言われています。

今回は、残っている文献などから聖ユッタの軌跡(ヒルデガルトとの出会い)を辿っていけたらと思います。

謎に包まれるユッタ・フォン・シュポンハイムの生い立ち

現在のラインラント・プファルツ州の裕福な環境に生まれた4人の貴族の末っ子です。バート・クロイツナハ(Bad Kreuznach)の西にあるシュポンハイム城を拠点とする伯爵家、ステファン・フォン・シュポンハイムとソフィア・フォン・シュポンハイムの娘でした。彼女が3歳の時に父が亡くなり、母が一人で子育てをしていました。

ユッタが3歳の時に父が早くも亡くなると、兄のシュポインハイムのメギンハルトが父の後を継ぎました。

未亡人となった母ソフィアは、娘に良い教育を受けさせました。ユッタはカソリック教団から洗礼を受けており、美貌の持ち主であると評価されています。

伝承によると、ユッタは12歳の時に重病に倒れ、その回復は奇跡的な治癒と思われ、ユッタは「自分の人生を神に奉献する」ことを約束したといいます。

そのため、その後、彼女はすべての結婚の申し出を断り、マインツの大司教ルタール(1098-1109)を探し、家族の意向に反して14歳でベールをかぶり、1101年に父が設立したシュポンハイムの修道院で生活したと言われています。

そのために、彼女は生徒として3年間、「聖なる宗教の習慣に生きた」ゲールハイムの未亡人ウダの世話になりました。

※ヴィータによれば、ヒルデガルトは8歳(1106年)でユッタのもとにやってきたので、ユッタもヒルデガルトも敬虔な未亡人から宗教的な指導を受けていたと考えられます。

ユッタは、幼い頃から修道院に入らず、神への世界を象徴する「アンカーレス※」となり、そのため、食べ物が通る小さな窓しかない一部屋だけのシェルターに生涯閉じこもり、外への持ち出しを拒みました。

※アンカライト(anchorites)とは、宗教的な隠遁者のことで、多くは女性ですが、司教の許可を得て教会の聖域の脇にある小さな独房に封印されました。
日本では乙女檻とも訳されています。
この習慣は1225年から1400年の間によく見られました。扉がレンガで固められているのは、それが人生の選択であることを示しています。独房には、聖餐式を受けたり、祭壇を見たりするための小窓と、食べ物や水を入れるための小さな開口部がありました。沈黙と祈りと苦行の孤独な生活を送る彼らは、寄進によって生活し、訪問者の相談に乗ったり、祈りを捧げたりすることができたのです。

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