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7/13 「好きなひとを好きでいるために、そのひとから自由でいたい」のか?

少女「お兄ちゃん、どうしても帰りたいの?」

あたる「お兄ちゃんはね、好きなひとを好きでいるために、そのひとから自由でいたいのさ。……わかんねェだろうな。お嬢ちゃんも、女だもんなぁ」

少女「教えてあげようか?」

あたる「えっ!知ってんの?現実へ帰る方法知ってるの?」

少女「誰でも知ってるよ。ただ目がさめると忘れちゃうの。この玉の上から飛び降りるの。そして、下へつくまでに目が覚めたらどうしても会いたい人の名前を呼ぶの。名前を呼べない人は、きっと目が覚めるのがイヤなのね」

あたる「それなら大丈夫。お兄ちゃん会いたいひといーっぱいいるから」

少女「その代り、約束してくれる?」

あたる「ん?」

その少女が帽子をあげた。その少女はラムと同じ顔をしている。

ラム(少女)「責任、とってね」

押井守『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)

 授業中、教室内で参考図書が回される。だいたいパラっと読んで次の人へ渡すわけだが、昨日は「パラっ」と読んだ箇所が妙に印象的だった。著者は國分功一郎、タイトルは『中動態の世界  意志と責任の考古学』。そこには、以下のように書いてあった。

 授業中に居眠りをしていた生徒がいて、教師がそれを叱った。しかし生徒いわく、実は「両親を事故で亡くし、毎晩兄妹のために深夜のアルバイトをしているせいで睡眠時間が取れない」らしいのだ。すると教師は叱ったことを後悔し、生徒に対して応援の気持ちさえ芽生える。この顛末を聞いた私たちも、教師の態度変化に納得するだろう。「生徒が居眠りをした」という事実は何ら変わりないのに、これは何故だろう?
國分いわく、そこでは「居眠りをした彼自身に、居眠りという行為の責任がないとみなされる」のだという。家庭の事情ゆえに、彼は行為を選択する余地がなかったと判断されるからだ。つまり、彼が仮に「深夜にアルバイトをする」ことも「学校に備えて十分な睡眠をとる」ことも、どちらも自由に選択できたにも関わらず、前者を選んだのならば叱責は妥当とされる。しかし、彼は今回「深夜にアルバイトをする」という選択をするしかなかったと判断されるため、その結果としての居眠りについて、責任を負わせることができないということになるのだ。

 責任は、能動的に選択した結果についてにしか在るとみなされない。受動的にその選択をした、あるいは選択せざるを得なかった場合、その結果についての責任は無いとされるのだ。居眠りをした彼自身、「この居眠りはアルバイトせざるを得ない状況がもたらしたものであって、自分に責任があるとは思えない」と感じたからこそ、事情を説明したのだろう。
要は「自ら能動的に選択した、という意識のない行為については、結果的に何を引き起こしても責任を取る気になれない」ということだと思う。
まぁ、当然といえば当然だ。先輩から「やれ!」と言われて何かをやり、結果的にそれが失敗に終わったとしよう。そのとき「自分の責任だァ〜!!申し訳ない!」とはならないだろう。むしろ、「いや、俺がやりたくてやったんじゃないし……」と不当に感じられるはずだ。

 これで思い出したのは、昨日(7/13)から施行されることとなった「不同意性行罪」だ。この法改正により、相手が同意していない、あるいは同意がなかったにも関わらず暴力やアルコール等で不同意を示せないよう仕向けた上での性行為が犯罪として成立するようになったのである。

ここで問題になるのは当然、「同意の有無」をどう判断するかということだ。上の記事にはこうある。

もっとも、こうした改正法の下でも、「相手が同意していると思い込んでいた」といった弁解が示されるであろうことは何ら変わりがないし、あとになって相手から「同意はなかった」と主張されることも考えられる。

 現にNHKの調査でも、性的同意について23%の人が「ことばで確認しなくても相手の態度からわかる」と回答しているほか、「“性的行為への同意あり” とみなされてもしかたがないと思うもの」として「2人きりで個室に入る」が34%、「相手の家や部屋に行く」が46%に上っている。こうした「同意がある」という思い込みが性犯罪に発展する例も多い。

ここでは、実に4~5割の人間が「2人きりで個室に入る」「相手の家や部屋に行く」といった行動を「セックスすることを受け入れた」というサインとして認識していることがわかる。ところで、明確な性交同意を取らず「サイン」を理由にセックスした場合、そこで起きる問題とはなんだろう?もちろん、相手が明らかに同意していないにも関わらず強要した場合などは論外だ。しかし、それだけが問題なのであれば、性交同意が常に必要ということにはならない。なぜ「性交同意が常に必要」なのか?

それは、同意を明確に取らない場合、行為によって意図せぬ結果を引き起こしたとしても、その責任を引き受ける気が起きないからではないか

つまり「サイン」を理由にセックスすると、その行為を「自分が能動的に選択したもの」として感じることが難しくなるのだ。もちろん、自分の意思で行為に及んだという自覚はあるのだが、同時に「「サイン」があったから、自分はセックス“することになった”」という受動的な意識をも芽生えさせる。
その結果、意図せずして相手が妊娠してしまったとしよう。そのとき「きちんと責任を取ろう」という意思は、どれだけ強く持てるだろうか。自分は、限りなく乏しくなるのではないかと思う。なぜならその結果は、「「サイン」によって半ば選択させられた、100%能動的に自分の意思で選んだものではない行為の結果」と感覚されてしまうからだ。そのため「妊娠」を、自分の能動的な選択が引き起こしたものとして受け止めることができない。

しかし、明確に同意を取れば、この責任逃れの感覚は発生しづらい。「サインがあったから」「ヤれる空気だったから」という形で責任の所在を曖昧にすることなく、「お互いにしたいという意思があったから、セックスした」という認識が明確にあれば、その結果について責任を持とうという気持ちが発生するはずだ。

これが「性交同意がなぜ必要か?」という問いに対する一つの回答だと思う。「この行為は自分の意思に基づいて能動的に選択したものだ、という意識を持てないと、その結果について責任を取ろうと思えないから」だ。

しかし、責任を引き受けるとは自由を手放すことでもある。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の終盤、夢と現実の狭間で主人公のあたると謎の少女が交わす会話は示唆的だ。

あたる「お兄ちゃんはね、好きなひとを好きでいるために、そのひとから自由でいたいのさ。……わかんねェだろうな。お嬢ちゃんも、女だもんなぁ」

少女「教えてあげようか?」

あたる「えっ!知ってんの?現実へ帰る方法知ってるの?」

少女「誰でも知ってるよ。ただ目がさめると忘れちゃうの。この玉の上から飛び降りるの。そして、下へつくまでに目が覚めたらどうしても会いたい人の名前を呼ぶの。名前を呼べない人は、きっと目が覚めるのがイヤなのね

あたる「それなら大丈夫。お兄ちゃん会いたいひといーっぱいいるから」

少女「その代り、約束してくれる?」

あたる「ん?」

その少女が帽子をあげた。その少女はラムと同じ顔をしている。

ラム(少女)「責任、とってね

あたるは「好きなひとを好きでいるために、そのひとから自由でいたい」と主張する。もちろんこれはラムのことだ。あたるはラムを一番大事に思っているにも関わらず、ラムにはっきりと思いを伝えようとはしない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E6%98%9F%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%8B

基本的な魅力にして、作品を支える柱でもある。はっきりすれば───つまり「自由」を手放せば、物語はゴールを迎える。その選択をしない限り、『うる星やつら』という物語は、つまり「夢」は終わらない。少女はあたるに、夢から現実に戻るには「ラムが好きだ」ということを明確にしなくてはならないと諭す。それは「責任」を取ることでもある。ラムを愛する責任をだ。

あたるは、ラムを能動的に愛するよう求められている。能動的に選び取った愛には責任が発生する。その責任を引き受ける意志が働く。責任のない自由な関係性は、あるいはセックスは心地良い。反対に、明確な同意を取り、関係をはっきりさせようとすれば、自分の意に反する困難が舞い込むこともある。拒絶されることもあるだろう。

それでも、夢(自由)に生きるのをやめて現実(責任)を見なければならない。私たちはあたると違い、虚構の外に生きているからだ。でも、それはそれで難しい。



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